溺愛音感


「さあ、入った入った!」


どうやらここは、松太郎さんの自宅――マキくんの「実家」らしい。


「ハナちゃんが、手焼きしたいほどせんべい好きだと知っていれば、オススメのせんべいをプレゼントしたものを。今日は、七輪には外せない春サンマも用意してあるし、ゆっくりしていくといい。何なら、泊ってもかまわない」

(春サンマ……食べたことない……)


七輪がどんなものなのか知らないが、なんだか美味しそうな気配がする。


「ありがとうございます。松太郎さん」

「なに、近々うちの嫁になるんだ。遠慮はいらん」

(嫁……お見合いが破談にならなければ、当然そうなるんだった……)


ここのところすっかり忘れていたが、正式に断りを入れていない以上、お見合いは継続中ということになる。

しかも、仲良く揃って実家を訪れるなんて、順調ですとアピールしているようなものだ。
ますます、断りにくくなる。


(……マキくん、もしかしてそれも計算済み……?)


純粋に、わたしの「おせんべい愛」のためだけに、実家訪問を企画したのか甚だ疑問だ。

ちらり、と横目で窺うとばっちり目が合った。

その顔に浮かんだのは……お見合いで見たあの笑み――何か企んでいそうな笑みだ。


(うわ……クロでしょ。絶対、クロでしょ!)

「どうかしたかね? ハナちゃん」

「いえ。あの、すごく……広いおうちですね?」


庭も家屋の外観も純和風である家は、内装も期待を裏切らずに「和」を基調とした造りだ。

現代の生活に適したものへリフォームされているが、繊細な細工が施された欄間や磨き抜かれた木の床、廊下にさりげなく置かれた高そうな壺や水墨画などが目を惹く。

が、行けども行けども続く廊下に、いまここで置き去りにされたら、玄関まで戻れないと思う。


「うむ。ひとりで住むには広すぎる。息子夫婦は離婚して出て行ったし、孫たちもここには戻らないだろうから、売ろうと思っている」


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