溺愛音感
彼女が立ち去ると、向かい合って座る花梨さんはコロコロと鈴の鳴るような声を上げて笑い出した。
「……笑いすぎ」
「兄妹って、やっぱり似るものなのね」
「……そうみたいですね」
「彼女も、柾さんと一緒よ。相手を深く愛せる人。一度別れても、やっぱり雪柳さんしか愛せないから再婚するんだもの。ああ、でも……兄とちがって、未知の世界に踏み出す勇気はあるわね」
「マキくんは、家族のことや会社のこと、自分が背負わなくちゃいけないと思っているから。頼らないし、頼れない。だから、慎重なんだと思います」
「そうね。背負うものが多ければ多いほど、身軽には動けないものね。だから、動ける方が動けばいい。不自由な彼の代わりに、自由なあなたがいろんなものを見て、聞いて、彼と共有すればいい。完全には重ならなくても、わずかでも触れ合えればいいと思うの。一番大事なのは……この世界にお互いが存在していて、会える可能性があることなんだもの」
現在、「ちょっと大変な病気」に罹って、闘病中である彼女の言葉には、実感がこもっていた。
亡くなってしまった人には会えないけれど、生きている限り、どこかでいつか巡り会う可能性は存在し続ける。
「そういう意味で、彼女は寄り添う方法をまちがったのね」
「彼女……?」
「長い時間傍にいたのに、彼女は柾さんのことを理解できなかった……いいえ、理解しようとしなかった」
誰のことを指しているのか訊ねようとして、開いた口がふさがらなくなる。
ドアベルの音と共に現れた新たな客は、意外な人物だった。
「中村、さん?」
彼女のほうも、わたしを見て驚いたようだ。
色白の顔が、さっと青ざめる。
「ここよ、中村さん。休暇中にお呼びたてしてごめんなさいね?」
振り返った花梨さんが手招きすると、ぎこちない動きでわたしたちの座るテーブルまでやって来た。
花梨さんがわたしの隣に移動し、中村さんと入れ替わる。
「遅れて、申し訳ありません」
「いいえ。急にお呼びしたわたしが悪いんですもの。お気になさらないで。どうぞ座って」
「……失礼します」
これまでの印象とは打って変わって、覇気のない小さな声で返事をした彼女は、オーダーを取りに来た椿さんにブレンドを頼んだ。
改めて目の前にいる中村さんを見れば、顔色が悪いだけでなく、記憶にある姿よりだいぶ痩せていた。
服装も、スーツではなくオフホワイトのカットソーにブルージーンズというラフなもの。
さっき、花梨さんが休暇中だと言っていたから、仕事は休みなのだろう。
(でも、どうしてここに……?)