溺愛音感
(は……?)
「そうねぇ。先に愛の告白があってしかるべきだわ。ハナ、さっさと言っちゃいなさい!」
マキくんを援護したのは、俺様の同類である女帝(母)だ。
味方と思わせておいて、やはり俺様ならぬ王様の松太郎さんも同類。「うんうん」と頷いている。
常識人の雪柳さんだけが、「義兄がめんどくさいヤツですまない」と言いたげなまなざしを送ってくれていた。
(ぷ、プロポーズだけでも十分恥ずかしいのに、この上告白なんて……マキくんの鬼っ!)
「どうした? ハナ。言えないのか?」
黒い笑みと共に覗き込まれ、ただでさえいっぱいいっぱいだった感情が、決壊した。
「もう、いいよっ! イヤならイヤって言えばいいでしょっ!? マキくんなんかに、もう二度とプロポーズなんかしないっ」
小さな箱を取り返そうとした手はかわされて、空を切る。
「――っ!」
怒りに任せて、広い胸に叩きつけようとした手は、大きな手に包まれた。
「二度は必要ない。一度で十分だ」
「……うぅ」
捕まえた指先に唇を寄せたマキくんは、優しいまなざしでこちらを見下ろす。
「ハナの行動は、時々予想の遥か上をいくから、驚かされる。ヴァイオリンも同じだ」
「だから、なにっ?」
この期に及んで、苦情など受け付けたくない。
喧嘩腰に問い返すわたしに、マキくんは自嘲の滲む苦笑いを浮かべた。
「ハナといると、自分でもよくわからない感情に見舞われて、らしくない行動をしてしまう。冷静さを保つのが難しい。でもそれが……不思議なことに、少しもイヤではないんだ」
「つまり……?」
「ハナのおかげで、予測不能なことを不安に思うのではなく、楽しめばいいんだと思えるようになった。ハナと過ごす毎日は、楽しくて、退屈とは無縁だ」
微妙な言われように、複雑な気持ちになる。
楽しいほうが、つまらないよりもいいけれど、欲しいのはそんな言葉ではない。
もどかしくて、じれったくて、つま先がムズムズする。
それだけか、と言おうとした矢先、昨夜は聞けなかった言葉が耳に落ちた。
「だから……ハナがいない人生は、寂しくて耐えられそうもない」
ようやく聞けた素直な気持ちに応えるには、自分も素直になるしかない。
「わ、たしも……マキくんといられないのは、寂しいよ」
「そう思ってもらえるなら、光栄だ」
さも感謝し、へり下っているような台詞だが、その口ぶりは完全に俺様だ。
でも、ほんのり赤くなった目元や緩みっぱなしの頬が、照れ隠しなのだと教えてくれているから許してあげようか、と思いかけ、続けられた言葉に寛大な気持ちを即座に撤回した。
「あるご令嬢が言うには、俺はくだらない男らしいが、ハナが結婚してくれるというのにその機会を逃すほど愚かではない」
「だったら、最初っから素直に『YES』って言えばいいでしょぉっ!?」
堪えていた涙はボロボロ零れ落ちるし、アップにしていた髪はバラバラと解けてくるし、相当にみっともない有様だろうと自覚しながら、目の前の天使のように美しい顔を睨みつける。
「先を越されて、少々ムカついた。待てと言ったのに、待たないハナが悪い。いろいろと企画していたのに」
「は……?」
(なんでわたしが悪いの? それに、先を越されたってどういうこと?)
「だが……時には、形に嵌ったやり方も悪くないな」
そう言ってわたしの前にひざまずいたマキくんは、指輪の箱をポケットにしまい込み、代わりに胸の内ポケットから何かを取り出した。
何だろうと思っている間に、大きな手に包まれていた左手の薬指に何かが嵌められる。
見下ろせば、そこには虹色に輝く石。
ガラスなわけはなく。
それはおそらくダイヤモンドで。
見たこともない大きさで。
しかも、わたしが用意した指輪とデザインが似ている。
同じブランドだと思われた。
「こ、れ……いつ?」
「三か月前、見合いをすると決めた時には準備していた。俺は、ハナとちがって行き当たりばったりな行動はしないんだ」
「でも……使わないことになったかもしれないのに?」
「常に、あらゆる事態を想定し、準備を怠らないことにしている」
本気でわたしと結婚できるなんて思っていなかったはずだ。
それでも、指輪を用意したのはきっと……。
「実現できないとわかりきっていても、夢を見るくらいは許されるだろう?」
「…………」
一度は止まりかけた涙が、溢れ出す。
「九十九曲を弾き終えても、この先ずっと……ヴァイオリンが弾けなくなる日まで、俺のリクエストに応えてほしい」
「…………」
「ハナ」
わたしを見上げるアンバーの瞳には、意地悪な色も、からかいの色も見当たらない。
「愛している。結婚してくれ。いますぐに」