溺愛音感


「文句があるのか?」


とても納得できるような提案ではなかったが、ひしひしと圧を感じる。

逆らえば、何かとんでもないことをされそうな気がして、つい首を横に振ってしまった。


「よし。契約成立だな」


嬉しそうに笑う俺様は、まさに「王子様」の麗しさ。
不覚にもドキッとしてしまい、顔が熱くなる。


「じゃあ、帰るぞ。ハナ」


差し出された手を見下ろし、我に返った。


(はっ! わたしったら、何を……。よし、じゃないし! お見合い断るのに、別の契約してどうするのよぅっ!? 大体、ひとりで帰れるしっ!)

「えっと、あの、わたし、かえ、帰る……」


しかし、立ち上がってさっそうと店を出て行く――はずが、椅子から下りた途端、床にへたりこんでしまった。


「わっ……あ、れ? たて、ない……」


立つどころか、座っていることもままならない。
視界が揺れ、目が回る。


「ハナちゃん、大丈夫っ!? てっきりお酒に強いんだと思っていたら……顔にぜんぜん出ない性質だったのか」


マスターのやけに焦った様子の声を聞きながら、大きくて温かいものに包み込まれるのを感じた。


(森、の匂い……?)


どこか懐かしい、心地よい匂いがする。

抱き寄せられて、もたれかかったぬくもりが、「ここは安全だ」と教えている。

雨や風、嵐からも守ってくれる、頑丈で温かくて、居心地のいい家のように。


(とは言っても、「家」に住んだことないんだけど……)


アパートかホテル暮らししかしたことがないから、思い描く「家」は妄想の産物だ。

日本語を勉強するために見ていたアニメのような「家」。

縁側があって、大家族で、庭には野菜とか花が植えられていて、子どもがいて、ペットの犬や猫が走り回っていて――幸せな家族が暮らす場所。


「ハナ?」


耳元で呼ばれ、くすぐったくて自然と頬が緩む。

ぎゅうっとしがみつけば、大きな手が髪を撫でてくれる。

長い間、がちがちに固まり、強張っていたものが解けていくように、身体がから力が抜けた。


「ちょっと柾くん! ハナちゃんはこれまで付き合ってきたような女性とはちがうって、わかってるよね? 信用していいんだよねっ!?」

「わかってる。だから、見合いなんて回りくどいことをしたんだ」

「それ……回りくどいんじゃなくて、悪どいだけなんじゃあ……?」




そこから先の記憶は曖昧だ。

いい匂いがするものにぴったりくっついて、ふわふわゆらゆら、心地よく漂って……






目が覚めたら、

イケメンの俺様王子様が目の前にいた。

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