眠れない夜をかぞえて
「桜庭、着いたぞ」

頭をポンポンと叩かれて起きると、今度は私が一ノ瀬さんの肩に頭を乗せて眠っていたようだ。

「す、すみません」

「寝言を言っていたぞ」

「な、なんて!?」

「おかあさ~ん」

「それ私が言ったやつじゃないですか!」

「仕返しだ。さあ、荷物を降ろすぞ」

一ノ瀬さんがこんな冗談を言う人だとは思わなかった。

大学を何とか卒業して、就職に選んだ芸能事務所。

一つの物をみんなで作り上げ、成功させる喜びが味わえる。

そんなことを思って就職した場所だ。制作現場を選ばなかったのは、私がそんなに器用な人間じゃないからだ。

事務方であっても芸能に関われる場所と考え、芸能事務所を選んだ。

大手のシャインプロダクションに受かるとは思わなかったけど、やりがいを感じている。

入社したときから、一ノ瀬さんは目立つ人だった。就職説明会、就職後の研修など、ずっと一ノ瀬さんを見てきた。

クールに見えて、あの容姿。話しかけることなんか出来なかった。

一ノ瀬さんはどんどん出世をして行って、今の統括部長にまでなった。それは納得のいく人事だった。

私も先輩になり、後輩を指導する立場になってやっと、世間話が出来るようになった。

最近は一緒に仕事をすることが多くて、新しい発見がある。なぜかそれは私の胸をドキドキさせるけど、憧れの人と仕事が出来る喜びからだと思う。

タクシーと事務所を何回か往復して、本当に仕事が終了だ。事務所には、5人ほどのスタッフが仕事をしていた。

「あ、一ノ瀬さん、桜庭さん、お疲れ」

「お疲れ」

「差し入れがたっぷりとあるんです、みなさんで食べませんか?」

手に持った紙袋を挙げると、おおっと歓声に近い声が上がった。

一斉にテーブルの上を片づけ始め、豪華な差し入れが並んだ。

自社ビルを所有するシャインプロダクションは、芸能事務所としては大手で、老舗に入る。

所属するタレントは、子役、モデル、ナレーターに声優、歌手、俳優だけではない。

幅広いタレントを育成して、売り出しているため、毎日のように履歴書が送られてくる。

それにすべて目を通して、各部門のチーフと選考会議をするのも一ノ瀬さんの役目だ。

デスクには開封された履歴書が今日もおかれていて、一ノ瀬さんは差し入れを食べながらそれを見た。休日の今日は、今度のイベントの企画で起用されるモデルを選んでいた。

< 19 / 132 >

この作品をシェア

pagetop