ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜


 道中、何を話したか覚えていない。
 隣でにこにこ笑う千波さんを見ながら、昼間に聞いた『お互いに大好きオーラ丸出し』『両思いなんだから』と久保田君が言っていたことを思い出し、同時に『今日言わないと、餌付け開始』も思い出して、自分を奮い立たせた。

 そうして、マンションに着く手前で、千波さんの足が止まった。
「あれ?看板なくなってる」
 『チカンに注意!』の看板がない。
「もう大丈夫になったのかな」
「つかまったのかもしれませんね」
 マンションのポストには、痴漢がつかまった報告と、更なる注意喚起のお知らせが入っていた。
 千波さんは、そのお知らせを俺に見せた。
「つかまったみたい」
 笑顔がぎこちないように見える……のは気のせいだろうか。
 千波さんが、言いにくそうに口を開く。
「あの……そしたら……」
 何を言われるのか、ピンときてしまった。

 『せめてあの看板がなくなるまでは、送らせてください』

 看板はなくなった。
 千波さんとしては、送ってもらう理由がなくなったのだ。
 もともと「部屋の前までなんて申し訳ないよ」と言っていたんだから、理由がなくなったらまたマンションの前まででいいよ、と言いかねない。もしかしたら「もう送らなくても大丈夫」とか言い出すかもしれない。というか、多分今言いかけているのはそれだ。

 考えるより前に、体が動いた。

 俺の右手は、千波さんの左手を取った。
「行きますよ」
 2枚目の自動ドアの前まで進む。
 千波さんは、俺に手を引かれてついてきた。
 下を向いているから顔が見えない。
 でも、手は離さない。
「本田さん、ドア開けてください」
「えっ、あっ、はい」
 声をかけたらビクッとして、暗証番号を打ち込む。
 恥ずかしくて、不安で、千波さんの顔を見られない。
 自動ドアが開いて、そのまま手を引いてエレベーターに乗る。
 5階のボタンは俺が押した。
 エレベーターは狭くて、お互いの息遣いまでわかってしまうけど、今の俺には自分の心臓の音しか聞こえない。
 それでも、千波さんの手の感触はわかる。
 千波さんの手は、小さくてやわらかくてあったかい。
 振りほどかない、ってことは、嫌ではないんだろうか。それとも、急に手を握られたから、怖くて振りほどけないとか?
 もしかして取り返しのつかないことをしたんじゃないかと青ざめた時、エレベーターは5階に着いた。
 ともかく、手は離さずに、部屋の前に立つ。
 千波さんは、うつむいたままだ。

 今だ。この勢いに乗らなくて、いつ言えるって言うんだ。
 でも、もしかしたら俺が怖くて顔を上げられないのかもしれない。
 ああ、手なんかつながない方が良かったのかも。
 でも、もう遅い。
 これを無かったことになんて、できないんだ。

「本田さん、あの……」
「は、はいっ」
 ビクッと全身を震わせる。
 やっぱり怖がらせてしまっただろうか。
 今からでも、紳士の須藤君に戻った方が、千波さんは安心できるんだろうか。
「あの……」
 一度ひるむと、言葉が出て来なくなる。
 どうしよう。
 でも、伝えたい気持ちは一つしかない。
 それを伝えるために、今ここにいるんだ。

「痴漢はつかまったみたいですけど、その、他にも変な人いるかもしれないし、これからも、送らせて、もらえます、か……?」

 違う、そうじゃない!

 脳内会議では一斉に突っ込まれている。

「……はい……お願い、します……」
 千波さんは、顔を真っ赤にして頷いた。

 顔を真っ赤に。
 これは、いい方に解釈していいんだろうか。

 『両思い』
 『大好きオーラ丸出し』
 『お互いに』

 自惚れてしまっていいんだろうか。

 そんなことを思っていたら、手の力が緩んだらしい。
 重力に従って下がりそうになった俺の手を、千波さんの手が、きゅっと止めた。

 やわらかい手に力が入る。
 離さないで。そう言っているみたいに。

 ドクン、と、全身が揺れた。

 俺も、手に力を込めた。

 千波さんをまっすぐに見る。
 うつむき加減だけど、千波さんの顔は見える。
 真っ赤になって、凄く可愛い。
「本田さん」
 千波さんは、返事の代わりに俺の顔を見る。
「送る時、また手をつないでも、いいですか?」
 千波さんは頷く。
「毎日、定時でも、送っていいですか?」
 また、千波さんは頷く。
「……毎日、送って、ほしい、です……」
 小さい声が聞こえてきた。
 俺の大好きな、ソフトな声。
 もう、気持ちが止まらない。

「本田さん、好きです」

 千波さんが、弾かれたように顔を上げた。
 目が合う。

「俺と、結婚してください」

 開かれた目が、俺を見つめる。
「……けっ……こん……?」
 千波さんの目が点になってしまった。
 俺の顔を凝視している。
 やっぱり結婚は突然過ぎたか……?
「は……なに……?」
「結婚です」
 でも、もう後には引かない。俺の気持ちは固まっている。
「須藤君、なに言ってるの?」
「なにって、言葉のままです」
 千波さんが、ぽかんと口を開けた。
 ああ、やっぱり可愛い。
「だって須藤君まだ23歳?だっけ?そんな年じゃないじゃない」
「俺の友達は10月に結婚します。年は関係ありません」
「友達の方こそ関係ないよ。そうじゃなくて、だって、須藤君はまだ若いし、普通結婚なんて考えないでしょ」
「でも、俺は考えました」
 そう。死ぬ程考えた。
 そして、出した結論だ。
「この先、何があっても、ずっと一緒にいたい。じいちゃんとばあちゃんになるまで。その先もずっと。そう思えるのは、本田さんだからです」
 顔から火が出そうだ。恥ずかしい。
 でも、目はそらさない。気持ちを伝えたい。
「だから、俺と結婚してください」
 千波さんが固まっている。
 可愛い顔で、まばたきを2回した。
「……本気?」
「本気です」
 俺は、きっぱり言い切った。
 千波さんは、何かを言いかけて、口を閉じてしまった。
 そのままうつむく。
 何を言いかけたんだろう。雰囲気からは読み取れない。
 どうしたらいいかと思っていたら、うつむいたまま、ぼそっと言った。
「結婚て……まだ付き合ってもないのに」
 あ、これは言われると思っていた。理想的な返しだ。
 俺は、あらかじめシミュレーションした返事を返した。
「じゃあ付き合ってください。それで、結婚してもいいかどうか、判断してください」
 千波さんは、再びぽかんと俺を見る。
 ああもう、本当に可愛い。
「本田さんが好きです。俺と、付き合ってください」

 千波さんは、俺をじっと見つめている。
 あの、何かを考えている目だ。
 やがて、ゆっくりと口を開いた。

「……私……も、須藤君が、好き……です……」

 今聞こえたのは、幻聴じゃないよな?
 千波さんが、千波さんの口が、千波さんの声で、『須藤君が好き』って言った!




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