黒王子の溺愛
シャッとカーテンの開く音がして、お手伝いさんの声が聞こえる。
「お嬢さま、もう起きる時間ですよ。」
「ん…。」

子供の頃の夢だ。

多分、夢なのだと思う。
もう、今となっては現実なのか、夢なのかも分からない。
けれど、今まで、何度も何度も見た夢なのだった。

「千穂さん、もう、朝食は作った?」
そう言って、藤堂美桜《とうどうみおう》はその綺麗な顔を、お手伝いさんに向ける。

抜けるように白くて、キメの細かい肌。
黒目がちの大きな瞳と、それを縁どる長いまつ毛。
いつも、微笑んでいるかのような、笑みを型どった唇は、艶やかで活き活きとしたピンクだ。
背中の中程まである長い髪を、さらりと身体にまとわせている。

「いえ?お嬢様に言われた通り、作っていませんよ。お支度して、キッチンに降りていらしてください。」

「うふふっ。千穂さん、大好き!すぐ、行きます。」
美桜はベッドから軽やかに降りて、お手伝いの千穂さんをきゅうっとハグする。

もう、20年近くも藤堂家にいてくれている、大事な人なのだ。
美桜にとっても、第2のお母さんのようなものだ。

「まあまあ、もう、子供じゃないんですから…。」
そう言いながらも、千穂さんは、美桜の背中をぽんぽん、と優しく叩いてくれた。

いつも、そうしてくれたのだ。
テストで悪い点を取ったと美桜が泣いていたときも、告白が上手くいかなかったときも。
「そうね…。」

今日、美桜はこの家を出る。

だから、もう、これまでのように辛いことがあっても、こうやって、千穂さんに慰めてもらうことは出来ないのだ。

きっと、同じように思ったのだろう。
千穂さんが美桜に隠れて、こっそり涙を拭いたのも、美桜は見ないふりをした。
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