冷めた二人
 そのうち外食を諦めたのか、勝手に私のランチを買ってきた。
 オススメの唐揚げだとか、食後に鯛焼きを食べようだとか。
 桃色の鯛焼きが明太子味とかいう珍味だったのは、不問に付しておく。

 問題にしたいのは、加嶋くんの食べ方だ。
 彼の机は部屋の扉側の隅、私とは対角の位置に在った。
 そこから私の様子を窺うように、チラチラと視線を送って弁当を食べる。

 貰った唐揚げに手を付けると、彼もそれに合わせて自分の分を食べ始めているようだった。
 なんだこれは。
 最近の学生は、こんなノリなのだろうか。
 いや、私も若い時は友人と一緒に食べたけどさ。

 しかし、仲良しランチもどきだけなら我慢出来る。
 勝手にしてくれと放っておくと、加嶋くんは次なる手段に訴えた。

 私がパンを(かじ)る間に、何やらガタゴトと動く気配が聞こえる。
 仕方なく顔を向けると、彼は席を移っていた。
 一つ隣の机へ移動して、やはり横目でこちらを見る。

「そこは相沢さんの席でしょ?」
「許可は貰いました」

 ならいいか、と言うとでも?
 どうも落ち着かなく、クリームパンがカサカサに乾いたみたいだ。
 もう一人の新人は大人しく自分の世界に没頭してくれているのに、どうして彼は私の昼を邪魔するのだろう。
 ちょっと無遠慮に過ぎるんじゃ?

 その席で二日食事を取った加嶋くんは、翌日、さらに隣へ移動した。
 部屋の中央近くになり、彼の弁当のメニューが覗けるくらいに近い。

 相変わらず許可は得たと言う彼へ、それ以上は絶対に近づくなと警告する。
 あんパンが温くなったように感じて、昼食が一気に苦行になった。

 頼むから、冷たい食事をさせてよ。
 いつまでも学生気分で楽しいランチを夢見たりせずに、ちゃんと成長してほしい。
 そんなことまで教えないといけないの?
 教育係は、親代わりではないってのに。

 一応、彼は言い付けを守り、三日ほど位置を変えはしない。
 代わりに奇天烈な行動に打って出た。

 咳ばらいをする加嶋くん。
 見てやるものかと無視していると、しつこく二度、三度と繰り返される。
 渋々見遣(みや)ると、そこには髭の男がいた。

「なん……」

 付け髭に黒縁メガネの彼が、真顔でこっちを向いている。
 見なかったことにした。

 髭にコメントすると負けた気がする上に、パンも不味くなる。
 さっぱり分からない。
 分からんぞ、若者よ。

 たかが髭、少年特有の奇行と思っておこう。
 思春期と言うには、少しとうが立っているけど、まあ私からすれば少年だよね。
 デザイン部に来るくらいなのだから、少々素っ頓狂な気質を隠し持っていたとしても不思議は無い。

 さらに次の日、加嶋くんの鼻は赤かった。
 さすがにマジマジと見て、何事かと確認してしまう。
 赤いスポンジの球を、どうやってか鼻につけているらしい。

「切り込みがあって、鼻を挟んでるんです」
「尋ねてません」

 一体、彼は何がしたいのか。
 実害は――ある。
 寛容さを身に着けた大人にも、侵されたくない領域はあって当たり前だ。

 赤鼻と髭のローテーションを一週間続けた後、加嶋くんは遂に禁断の一線を越えてきた。
 より近くの机へ移動した彼へ、自分の席へ戻れと叱る。

「温かいと食べられなくなるの。嘘じゃない。近寄らないでちょうだい」
「嘘だとは思ってません。お茶すら、ヌルいと飲まないですもんね」
「そうよ、胸がむかついてしまって……。分かったら戻って」
「イヤです」

 あまりのキッパリとした物言いに、二の句を継げなかった。
 至って真剣な面持ちで髭を外した彼は、私の机にある写真立てを指差す。

「ご家族の写真ですよね。珍しいなって思ったんです」
「え、ええ」
「ご両親を亡くされたんだとか。ここに来てすぐ、相沢先輩が教えてくれました」
「もう昔の話よ」
「そう、昔じゃないですか。十四年も前だとは知らなかった」

 火事で両親と弟を亡くしてから、私は冷たい物しか食べられなくなった。
 相沢さんには教えたので、加嶋くんもそう聞いたはずだ。

 知り合って日の浅い彼にすれば、本人へ質問するにはセンシティブ過ぎる話題だろう。
 三か月間、彼はそのことに触れないようにして過ごす。
 しかし、死別したのが昔と聞いて、思うところがあったらしい。

「席を近づけても、パンが温まったりしません」
「いや、そんなことは――」
「しません。主任がイヤがってるのは、誰かと一緒に食べることでしょ?」

 親しい誰かと食事をする。席を並べて食べ、お互いの顔を見て笑い合う。
 それが出来なくなった。
 そんなことは、彼に指摘されずとも知っている。

「温かい物を食べろとも、ご家族を忘れろとも言いません。そんな権利はボクに無い」
「そう。あなたは少しプライバシーに踏み込み過ぎ――」
「ボクと一緒に食べてください」
「なんで、そんなことにチャレンジしなくちゃいけないのよ」
「誰かと食べる幸せまで、忘れちゃダメです」

 入社直後、事情を知った同僚からは腫れ物に触るように扱われ、気づけば十年が経っていた。
 結婚も他人事、誰に気兼ねすることもない独り暮らしだ。

 少し怠惰な私生活を叱る誰かも、心に踏み入ってくる者もいなかった。
 彼が現れるまでは。

「このままでいいと、思うんですか?」

 そんなこと――。
 即答するのは、とてもじゃないが無理だった。
 私にどう思われるのか、自分の考えが本当に適切なのか、加嶋くんは自省したりはしないのだろう。
 ただ正しいと信じることを、直球で投げるだけ。

 馬鹿な男だ、と鼻で笑うのは簡単なのだけれど、それを許さない自分もいた。
 私は立派な大人なのだと、胸を張って言えるのか?

 彼は急かすようなことはせず、よく考えてみてほしいと言って、その日のランチは終了する。
 食べ残した菓子パンは、結局ゴミ箱行きになった。
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