婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました
「長風呂だったね」
「えっ、そうかな? 最近少し太ったから半身浴とかしてて……」

 写真のことばかり考えて長湯しすぎたとはとても言えず、紅は適当な言葉を並べた。宗介と同居をはじめてから料理に気合いが入るようになり、少し太ったのは本当だから、すべてが嘘ではないけれど。

 宗介はグラスに冷たいお茶を注いで、紅に差し出した。

「ちっとも太ってないよ。むしろもう少し太ってもいいくらいだと思うけど」

(それって、胸がないって意味じゃないよね……モモちゃんは細いのに胸あるし)

 自分のささやかすぎる胸の膨らみを見下ろしながら、そんな邪推をしてしまう。

「大丈夫か、紅。少しのぼせたんじゃない?」
 
 受け取ってもらえないグラスをそのままに、宗介は心配そうに紅の顔をのぞきこんだ。

「ううん、大丈夫だよ。あ、お茶ありがとう。もらうね」

 だが、宗介の予想通り、紅は湯あたりしていたらしい。思うように手に力が入らず、グラスを落としてしまった。カシャンと高い音をたてて、床に破片が飛び散った。
 玲子からイタリア旅行土産にもらったお気に入りのグラスだったのに……。紅は慌てて片付けようとしたが、急に動いたのがまずかったようだ。頭がクラクラして視界がぐるりと回転した。

「紅っ」
「いたっ」

 宗介が支えてくれたのでなんとか倒れずに済んだが、割れたグラスの破片を踏んでしまい、つま先にするどい痛みが走った。
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