年下ピアニストの蜜愛エチュード
 しかしそうしたことで、ますます気まずさが募っていく。アンジェロがなぜかもの言いたげに千晶を見つめ続けているからだった。

 しかも一昨日ほどではないにしても、その表情は依然として硬いままだ。

(全然、友だちじゃないから!)

 千晶は確かにアンジェロの大ファンだが、一方的に知っているだけだ。さらに理由はわからないものの、彼を怒らせてしまったのだ。

 そんな関係なのに、話すことなどあるはずがない。

 たとえアイスクリームを買うまでの辛抱だとしても、列はけっこうな長さがあって、間の悪い状況は二十分くらい続きそうだった。

(ここは健診の感想とか訊くべきかしら? ううん、やっぱりそれはまずいわよね)

 いっそ今すぐ列を離れてしまおうかと思った時、また順が声を上げた。

「……ショパンさん?」

「えっ?」

「ちあちゃん、この人ってショパンさんだよね?」

 順はアンジェロをしげしげと見やり、無邪気に続ける。

「僕、知ってるよ。ショパンさんでしょ? ちあちゃんのCDの人だもん」

 するとアンジェロが確認するように、順の方に少し身を屈めた。

「CD?」

「うん! うちに、ショパンさんのCDたくさんあるよ」

「本当に?」

「ほんとだよ。ちあちゃん、ショパンさんのピアノが大好きなんだって。毎日聴いてるよ。あ、目覚ましもショパンさんの――」

「ちょっと順!」

 千晶は慌てて順を黙らせようとした。

 子どもの言葉とはいえ、相手は気難しい芸術家だ。わけのわからないおしゃべりで、もともとこじれている関係がさらに悪化し、修復不能になってしまうかもしれないと思ったのだ。

 ところが意外にもアンジェロはその場にしゃがみ込み、順と視線を合わせた。

「君は順くんっていうんだね?」

「うん!」

「僕も潤だよ。ピアチェーレ」

「ピア――それ、何?」

「イタリア語だよ。はじめましてって言ったんだ。よろしくね」

 アンジェロは順に手を差し出して握手すると、笑顔で千晶を振り仰いだ。

「君もどうぞよろしく、三嶋さん」
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