年下ピアニストの蜜愛エチュード
 やがて土曜が来た。

 昼過ぎに順をおとまり会に送り出すまでは、ふだんと同じにぎやかな時間が過ぎていったが、いざ二人きりになると、アンジェロも千晶も急に口数が少なくなった。

 その日のデートに選んだのは、いつもは行けない美術館や日本庭園だった。子どもづれではできないことを楽しもうとしたのだが、手をつないでいても、なんだか雲の上を歩いているように心もとない。

「紅葉、とてもきれいね」

「……ほんとだね」

 どちらかが何か話しかけても、ろくに会話が続かない。そのくせ二人とも、命綱のように相手の手をしっかり握り締めていた。

「ツァーの準備、終わったの?」

「うん、だいたい」

 アンジェロは『ホテル・ロマンツァ』の部屋を予約し、常に満員だという最上階のフレンチレストランの席も手配してくれた。だが時間がたっても、状況はあまり変わらず、せっかくのディナーも味がよくわからなかった。

 窓の外できらめく夜景、揺れるキャンドル、BGMで流れる低いピアノの調べ――千晶にとっては何もかもどこかぼんやりしていて、まるで夢の中にいるようだ。

 けれどアンジェロはさらに緊張しているようで、深呼吸を繰り返していた。食事を終えて部屋に入る時は、カードキーを二度も落としてしまったくらいだ。

(わ、私がしっかりしなきゃ。五歳も上なんだし)

 千晶は「キーを貸して」と手を差し出したが、受け取る時に、やはり取り落してしまった。

「……やだ」

 足元のカードキーを見やり、二人は顔を見合わせて笑い出す。続いて、どちらからともなく唇が重なった。

 柔らかなぬくもりが触れては離れ、次第に口づけは深くなっていく。

(アンジェロ……アンジェロ)

 順がいる時に、隙を見て交わした挨拶のようなキスとは全然違う。強く抱き締められて、全身が彼の香りに包まれた。

「中へ入ろう、千晶」

「ええ」

 アンジェロはドアを開けると、千晶の背中をそっと押した。
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