桜の下に立つ人
新しい朝
 その朝の始まりを告げたのは、満開の桜のニュースだった。美空もよく知る桜の名所が朝のテレビ番組に文字通り花を添えていた。
 しかし、具体的にそれがどこの名所だったのか、美空はすでに忘れていた。画面の中の美しかったはずの桜も、さっぱり印象に残っていない。
 今朝の美空に、そんなことに気を払っている余裕はなかったのだ。
 一刻も早く学校に行かなければならなかったのである。
 現在時刻は午前七時十分、美空はそわそわした様子で電車に揺られていた。普段より三十分以上は早い電車である。しかしそれでも、約束の時間には遅れそうだった。いや、確実に遅れる。
 誰にも邪魔をされずに話したくて決めた時間だったのに、呼び出した本人が遅刻するのはさすがに不味い。 
 めずらしく焦っている美空は、何度も時計に目をやっては、学校まであと何駅あるのかを数えた。
 彼はもう着いているだろうか。そもそも来てくれるつもりがあるのかさえ、美空には分からない。極めて一方的に取り付けた約束だった。

 それを強引に押し付けたのは二日前のことだ。
 部活中の竹本に美空から声をかけた。おそらく初めてのことだったので、声をかけられた竹本も目を丸くしていた。

「部長って、浅井先輩と、同じクラスですか……?」

 美空が口にした名前に竹本はさらに意外そうに瞳を瞬かせた。

「一緒だけど。それがどうかした?」

 美空は純白の封筒を両手で差し出した。表書きに精一杯の丁寧な字で「浅井先輩へ」と書いてあった。裏にはもちろん美空の名前を記していた。

「渡してほしいんです……」 

 俯いて、緊張した様子の美空に、竹本はしっかり者の仮面を外していたずらっぽくにやりと口角を上げた。

「ラブレター?」
「――ちがっ……!」

 思ってもみなかった揶揄を受け、反射で否定しかけるが、美空は思い直した。

「そ、そう……かも、しれま、せん……もしかしたら」

 頬を染めた美空が視線をさまよわせながら自信なく肯定すると、竹本がぷっと吹き出した。
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