桜の下に立つ人
 描くのはやはり、桜の下に立つ彼だ。今まで打ち込んできた野球に別れを告げる姿。
 彼の表情は、儚い線で。でも目線ははっきりと。寂しげな様子だけれど、口元は笑っている……。
 イメージが具体的になるほどに、手も頭も心も早く早くと急く。しかしその脳裏では、悠祐と出会ってから交わした言葉の数々がゆっくりと巡っていた。

 ――絵は、いいな。作品が残るから。
 ――なにも残らないよりマシだよ。

 ――今の俺にはなにも残っていない。そう見えるんだ。
 ――それが今の俺の、全てなんだよ。

 そんなことない。
 悠祐になにも見えないなら、美空の絵で形にする。美空の絵で証明したい。悠祐の野球は確かに残していったものがあるのだと。
 悠祐に出会って、美空の絵は変わった。美空の絵の中に、悠祐の野球にかけたものが確実に息づいている。その存在に気づいてほしい。
 そして、悠祐が諦めようとしたものに、もう一度目を向けてくれたなら……ただ、嬉しい。それだけだ。それだけのために描いている。

 窓の外には冬の名残の冷たい風が吹いている。その中に、一枚の花弁がひらりと舞う。出会いと別れを象徴する花の最も美しく色づく瞬間が、もうすぐそこにまで近づいていた。
< 33 / 45 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop