今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 午後一時すぎにブルーノと航志朗はアパートメントに戻って来た。重厚な玄関ドアを開けると、焼きたてのピザの食欲をそそるいい香りが漂ってきた。すると、目の覚めるようなブルーのワンピースを着たマユが走って出て来て、ふたりを笑顔で出迎えた。すぐにブルーノはマユをきつく抱きしめて、マユの顔じゅうに音を立ててキスした。唇を曲げた航志朗は視線を天井に向けた。

 「もうっ、遅い! 私、お腹ぺこぺこよ、早くランチにしましょう」

 リビングルームにはデリバリーの箱がたくさん並んでいた。マユは待ちきれなかったらしく、開けた箱の中のピザの一片が空いていた。ブルーノは新鮮なレモンをカットしてグラスに絞り、そこに炭酸水を注いだ。箱を開けると数種類のピザやチャイニーズレストランのフライドライスやダンプリングが出てきた。マユは大きな二人の男よりも豪快にたくさん食べた。ブルーノが淹れた食後のエスプレッソを飲んでいると、ソファの上でブルーノに寄り掛かったマユが甘えたように言った。

 「ブルーノ。ねえ、ここ触ってみて。私、お腹がこんなにぱんぱんになっちゃったわ」

 マユはブルーノの手を取って、ぽっこりと出たマユの腹の上に置いた。ブルーノは目を細めて、マユの額にキスして言った。

 「マユ、君は痩せすぎだよ。もっと太ったほうがいい。俺のマンマみたいに」

 ブルーノの太い腕に顔を擦りつけて、彼を見上げたマユは可愛らしく微笑んだ。

 身体を寄せ合ったふたりの様子を見て、航志朗は心から安堵した。同時に航志朗はうらやましくもあった。そして、まじめな面持ちになった航志朗は、マユに深々とお辞儀をして礼を述べた。

 「マユさん、私どもの絵をお買い上げいただきまして、誠にありがとうございます」

 マユは首をゆっくりと横に振ってから、心からの優しい笑顔を航志朗に向けて言った。

 「お礼を言うのは私の方よ。あの絵は私を救ってくれたの。本当に心から感謝するわ。ありがとう、航志朗くん。それから、安寿さんも、ありがとう」

 航志朗は内心で思った。

 (マユさんは、あの安寿の絵に何を見たんだろう……)

 しかし、航志朗は尋ねなかった。安寿は、その心のおもむくままにあの絵を描いた。マユは、その心のおもむくままにあの絵を見て何かを感じた。そして、あの絵を欲しいと思ってくれた。それで航志朗はじゅうぶんだった。なによりも安寿の大学進学への道が開けたのだ。早く安寿に報告したいと心を震わせて航志朗は思った。

 安寿の顔を思い浮かべていてあることを思いついた航志朗はマユに頼んだ。

 「マユさん、お願いがあります。マユさんのローマングラスのジュエリーを俺に売ってくれませんか」

 マユは微笑んで首を傾けて、航志朗の琥珀色の瞳の奥を見つめて言った。

 「安寿さんにプレゼントするのね?」

 航志朗はうなずいた。マユは立ち上がり、アトリエから大きな箱を持って来て、ローテーブルの上でその箱を開けた。中には様ざまな色彩と形状を持ち、まさに出土したばかりの荒々しい迫力を持った古代のガラスの破片がたくさん詰まっていた。航志朗は思わず目を大きく見開いた。まるで世紀の大発見をした考古学者のように得意げな顔をしたマユが言った。

 「航志朗くん、このなかから好きなものを選んで」

 「マユさん、いいんですか?」

 ブルーノが興味深そうに栗色の瞳を輝かせて、航志朗とマユの顔を交互に見つめた。

 「もちろんよ。安寿さんが好きそうなガラスの破片を見つけてみて。あなたの直感で」

 すぐに航志朗はそれを見つけた。少しも迷わずに。一見深いインディゴブルーだが、光にかざすとエメラルドグリーンに見える三センチメートルほどのガラスの破片だ。航志朗はニースの海の色を思い出していた。

 「これにします」

 マユは大きくうなずいてから航志朗に提案した。

 「ねえ、航志朗くんがデザインしてみない? もちろん、私も手伝うから。安寿さんのために一緒にやってみましょうよ!」

 航志朗は思ってもみないマユの言葉に驚いた。ずっとふたりを見守っていたブルーノが航志朗の背中を叩いて言った。

 「面白いじゃないか。マユとコーシのコラボだ。やってみろよ!」

 ブルーノは急に思い出して航志朗に尋ねた。

 「コーシ、シンガポールへのフライトは何時なんだ?」

 「午後八時すぎだ」

 「じゃあ、ここを五時前には出た方がいいな。夕方は道が大渋滞するからな。今、何時だ?」

 すぐにマユが答えた。

 「もう、三時よ! さあ、早く取りかかりましょう」

 マユはスケッチブックを開けて、航志朗に使い込んだ鉛筆を持たせた。航志朗は躊躇せずに線をなめらかに描き始めた。

 (安寿へ贈るペンダントのデザイン、こんな感じか……)

 マユは眉を上げて、航志朗の琥珀色の瞳をのぞき込んで思った。

 (彼って、すごいわ!)

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