今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
三人はブルーノの運転でマルペンサ空港に向かい、国際色豊かな人びとで大混雑する出国ゲートの前にやって来た。ゲートの前にはこの国らしい大いなる抱擁でしばしの別れを惜しむ人びとが目についた。
彼らにとっても別れの時間が来た。ブルーノは大粒の涙を流しながら航志朗を抱きしめた。航志朗もブルーノを力強く抱きしめた。マユはそんなふたりを涙を浮かべて見守ってから言った。
「航志朗くん。今度は、安寿さんと一緒にここに来てね。私、彼女とイタリアじゅうの美術館巡りをしたいわ」
「わかりました。今度は必ず彼女と一緒に来ます。ブルーノ、マユさん、本当にありがとう。では、また」
航志朗が空のアタッシェケースを手に持ち、ふたりに微笑んだ。その時、少し頬を赤く染めたマユが、航志朗の手をそっと握って日本語で甘えたように言った。
「ねえ、航志朗くん。……キスしていい?」
航志朗は思わず赤くなって日本語で返した。
「マユさん、酔っているんですか!」
マユは心から笑った。美しい笑顔だった。そして、マユは少し背伸びをして、航志朗の右頬にキスした。それはキスに慣れたイタリア人女性の情熱的なキスだった。マユは航志朗の左頬にもキスした。「こっちは、安寿さんにね」と言い添えて。それを目の当たりにした真っ赤な目のブルーノは両肩を上げて苦笑いした。
大きく手を振って、航志朗は出国ゲートの中に入って行った。
航志朗の背中を見送ったマユが、小さい声でつぶやいた。
「航志朗くんって、背中に大きな翼が生えているみたい」
「そうだな……」
ブルーノは涙ぐんだマユの肩を抱いた。
「さあ、これからアートフェアの会場に行くぞ。八時からマスメディアを招待したレセプションパーティーがあるからな」
「もちろん、私も一緒に行くわ」
ブルーノとマユは車に乗り込んだ。マユは陽が落ちてだんだん暗くなっていく車の窓の外を眺めた。西の空には一番星が輝いている。子どもの頃、スイミングスクールの帰り道に母と手をつないで一番星を見た夕暮れのひとときをマユは突然思い出した。その時の母の手は温かかった。
マユは隣で前を向いて運転しているブルーノの横顔をしばらく見つめた。そのブルーノの人懐っこい栗色の瞳をマユは大声をあげて泣き出してしまいそうなほど懐かしく思った。そして、マユはブルーノに言った。
「ねえ、ブルーノ。私、……もうひとつ、ほしいものがあるの」
「ん? ああ、前に言っていたサルデーニャ島の別荘か。いいよ、買ってやるよ。アートフェアが終わったら、不動産屋のマルコのところに行くか」
マユは少々恥じらいつつ言った。
「ううん、……あなたとの子どもよ」
その突然の言葉にブルーノは心底驚愕した。狼狽したブルーノはあわてて車を路肩に寄せて止めた。ブルーノは大きな身体を抱えて全身で身震いした。
「マ、マユ! 君は絶対に母親になんかなりたくないって言っていたじゃないか」
マユはブルーノの栗色の瞳を見つめた。そして、マユはブルーノをゆっくりと抱き寄せて、その唇にキスした。マユの腕の中でブルーノが興奮して大声で叫んだ。
「マユ、俺は君を愛している、心から愛している、永遠に君を愛すると誓う!」
それは、五年前に出会って一夜にして結婚を申し込んだ時と同じ言葉だった。
「私もよ、ブルーノ……」と言ったマユは、突然、少し顔をしかめた。
「ど、どうしたんだ、マユ?」
あわててブルーノが訊いた。
頬を赤らめてうつむいたマユが小さな声で言った。
「ちょっとお腹が痛くなったの。でも、大丈夫。たぶん、排卵痛だと思う」
すると、ブルーノは即座にハンドルを握って車を発進させた。ブルーノは力いっぱいアクセルを踏み込んで、車は猛スピードで加速した。ブルーノは前を向きながらまた大声で叫んだ。
「マユ、これからすぐにベッドに行くぞ!」
「えっ、これから大事なパーティーがあるんじゃないの?」
「そっちは、うちの優秀なスタッフたちに任せる。俺たちの人生にとって、こっちの方が、ずっと、ずっと、はるかに大切だ!」
マユは瞳を潤ませて、ブルーノを心から愛おしそうに見つめた。車窓の外の真っ暗な夜空には、たくさんの美しい星たちが輝きはじめた。ブルーノはそれを見て思った。
(今夜は、一生忘れられない夜になるな……)
マユも星空を眺めて思った。
(彼女の名前は、……キアーラね)
彼らにとっても別れの時間が来た。ブルーノは大粒の涙を流しながら航志朗を抱きしめた。航志朗もブルーノを力強く抱きしめた。マユはそんなふたりを涙を浮かべて見守ってから言った。
「航志朗くん。今度は、安寿さんと一緒にここに来てね。私、彼女とイタリアじゅうの美術館巡りをしたいわ」
「わかりました。今度は必ず彼女と一緒に来ます。ブルーノ、マユさん、本当にありがとう。では、また」
航志朗が空のアタッシェケースを手に持ち、ふたりに微笑んだ。その時、少し頬を赤く染めたマユが、航志朗の手をそっと握って日本語で甘えたように言った。
「ねえ、航志朗くん。……キスしていい?」
航志朗は思わず赤くなって日本語で返した。
「マユさん、酔っているんですか!」
マユは心から笑った。美しい笑顔だった。そして、マユは少し背伸びをして、航志朗の右頬にキスした。それはキスに慣れたイタリア人女性の情熱的なキスだった。マユは航志朗の左頬にもキスした。「こっちは、安寿さんにね」と言い添えて。それを目の当たりにした真っ赤な目のブルーノは両肩を上げて苦笑いした。
大きく手を振って、航志朗は出国ゲートの中に入って行った。
航志朗の背中を見送ったマユが、小さい声でつぶやいた。
「航志朗くんって、背中に大きな翼が生えているみたい」
「そうだな……」
ブルーノは涙ぐんだマユの肩を抱いた。
「さあ、これからアートフェアの会場に行くぞ。八時からマスメディアを招待したレセプションパーティーがあるからな」
「もちろん、私も一緒に行くわ」
ブルーノとマユは車に乗り込んだ。マユは陽が落ちてだんだん暗くなっていく車の窓の外を眺めた。西の空には一番星が輝いている。子どもの頃、スイミングスクールの帰り道に母と手をつないで一番星を見た夕暮れのひとときをマユは突然思い出した。その時の母の手は温かかった。
マユは隣で前を向いて運転しているブルーノの横顔をしばらく見つめた。そのブルーノの人懐っこい栗色の瞳をマユは大声をあげて泣き出してしまいそうなほど懐かしく思った。そして、マユはブルーノに言った。
「ねえ、ブルーノ。私、……もうひとつ、ほしいものがあるの」
「ん? ああ、前に言っていたサルデーニャ島の別荘か。いいよ、買ってやるよ。アートフェアが終わったら、不動産屋のマルコのところに行くか」
マユは少々恥じらいつつ言った。
「ううん、……あなたとの子どもよ」
その突然の言葉にブルーノは心底驚愕した。狼狽したブルーノはあわてて車を路肩に寄せて止めた。ブルーノは大きな身体を抱えて全身で身震いした。
「マ、マユ! 君は絶対に母親になんかなりたくないって言っていたじゃないか」
マユはブルーノの栗色の瞳を見つめた。そして、マユはブルーノをゆっくりと抱き寄せて、その唇にキスした。マユの腕の中でブルーノが興奮して大声で叫んだ。
「マユ、俺は君を愛している、心から愛している、永遠に君を愛すると誓う!」
それは、五年前に出会って一夜にして結婚を申し込んだ時と同じ言葉だった。
「私もよ、ブルーノ……」と言ったマユは、突然、少し顔をしかめた。
「ど、どうしたんだ、マユ?」
あわててブルーノが訊いた。
頬を赤らめてうつむいたマユが小さな声で言った。
「ちょっとお腹が痛くなったの。でも、大丈夫。たぶん、排卵痛だと思う」
すると、ブルーノは即座にハンドルを握って車を発進させた。ブルーノは力いっぱいアクセルを踏み込んで、車は猛スピードで加速した。ブルーノは前を向きながらまた大声で叫んだ。
「マユ、これからすぐにベッドに行くぞ!」
「えっ、これから大事なパーティーがあるんじゃないの?」
「そっちは、うちの優秀なスタッフたちに任せる。俺たちの人生にとって、こっちの方が、ずっと、ずっと、はるかに大切だ!」
マユは瞳を潤ませて、ブルーノを心から愛おしそうに見つめた。車窓の外の真っ暗な夜空には、たくさんの美しい星たちが輝きはじめた。ブルーノはそれを見て思った。
(今夜は、一生忘れられない夜になるな……)
マユも星空を眺めて思った。
(彼女の名前は、……キアーラね)