今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第4節

 翌日の午前四時半を過ぎて、だんだん窓の外が白んで明るくなってきた。浅い眠りから目覚めた安寿は航志朗を起こさないように静かにベッドから抜け出した。航志朗は深い寝息をたてて気持ちよさそうに眠っている。安寿は航志朗の寝顔を見て思わず微笑んだ。眠っている時の航志朗は、本当に小さな男の子のようだ。

 安寿はバルコニーに出た。まだ薄暗い外はひんやりとしていて、身体がぶるっと震えた。次の瞬間、安寿は目の前にとてつもなく広がる光景に寒さを忘れて息を呑んだ。眼下には巨大な刷毛で無彩色の絵具をなすりつけたような雲海が広がっていた。大きな雲のかたまりは急な谷間にゆっくりと豪雨が降った後の滝のように流れ落ちている。

 今、雲の上にいるのだ。両足に力を入れて立っていないとその濁流の渦に吞み込まれてしまいそうだ。だんだん東の空が明るいオレンジ色とピンク色のグラデーションに染まってきた。空と山の稜線の境界が溶けて金色に輝いた。日の出が近いのだ。見渡す限りの大空に日の出を見るのは初めてだ。安寿は真正面の日の出を航志朗と見たいと切実に思った。もう二度と航志朗と一緒に見られないかもしれないのだ。急いで安寿はベッドに戻って航志朗の顔をのぞき込んだ。航志朗はぐっすりと眠っている。それでも安寿は航志朗を起こした。

 「航志朗さん、日の出の時間ですよ」

 「安寿……」

 航志朗のまぶたが動いた。

 安寿は航志朗の頬にそっと手を触れた。航志朗はその手を握って、まだ眠たげに目を開けた。

 「ん? 今、何時だ?」

 「四時五十分です」

 「午後?」

 思わず安寿はくすっと笑った。

 「いいえ、午前です」

 「もうすぐ太陽が出てきます。一緒に見ましょう」

 「ご来光か、……見たい」

 安寿と航志朗はバルコニーに並んで立った。新しい一日が始まったばかりのまばゆい光がふたりを照らした。ふいに航志朗は安寿をきつく抱きしめた。安寿は心から嬉しそうに航志朗を見上げて微笑んだ。その安寿のありのままの笑顔に航志朗は面食らった。

 (もしかして、俺のことをやっと好きになったのか)

 心の底から歓喜があふれ出てきた航志朗は安寿の身体に回した腕の力をさらに強めた。安寿が自分の腕をすり抜けてどこかに行ってしまわないように。安寿はため息をもらして航志朗の背中にそっと手を置いた。

 (このまま、ずっと航志朗さんと一緒にいられるといいのに……)

 安寿は胸が苦しくて仕方がなかった。黄金色の朝日を浴びながら、ふたりはそれぞれの言いだせない想いをひそかに抱えながら抱き合っていた。

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