今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 元旦の朝の光がカーテンの端からもれている。あまりよく眠れなった安寿は起き上がってカーテンを開け、ベッドに座って窓の外をぼんやりと眺めていた。そこへ部屋のドアをノックする音がして、ドアの向こうから咲の明るい声がした。

 「安寿さま、お目覚めになられましたか? よろしかったら、さっそくお着物をお召しになりますか」

 安寿は部屋のドアを開けて、咲に深々とお辞儀をして丁寧に新年のあいさつをした。

 「咲さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」

 恐縮した咲があわてて頭を下げて言った。

 「まあ、安寿さまったら! こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 咲はグレーベージュの地色に明るい色の花々が咲いた可愛らしい友禅の色留袖を着ている。それは咲にとてもよく似合っていて、安寿はにっこりと微笑んだ。

 咲は慣れた手つきで安寿に訪問着を着付け始めた。長襦袢を安寿に着付けた咲はこっそりため息をつきながら胸の内で思った。

 (安寿さまのお肌って透き通っていて、なんて美しいのかしら)

 思わず咲は頬を染めた。

 (航志朗坊っちゃんは、もうとっくに安寿さまに夢中なんでしょうね……)

 サロンでは西陣織の上品なグレーの着物を着た岸が伊藤と話をしていた。そこに咲に伴われた若葉色の着物姿の安寿が現れた。安寿は咲に薄化粧もほどこされていた。岸と伊藤は会話を突然止めて、呆然と安寿を見つめた。咲がそんな二人を見て、可笑しそうに肩をすくめた。安寿は新年のあいさつを岸と伊藤にも心を込めて行った。顔を紅潮させた岸が声をうわずらせて安寿を褒めた。

 「安寿さん、……とても美しいです」

 安寿は岸に礼を言ったが、頭のなかで反論した。

 (それは違う。私が美しいんじゃなくて、このお着物が美しいんだ)

 伊藤がふたりに言った。

 「宗嗣さま、安寿さま、お写真を撮りましょう」

 まずサロンで写真を撮ってから、庭に出てまた写真を撮った。安寿と岸のふたりで、それから安寿ひとりで。

 正月らしい穏やかな晴天だ。咲が自分のスマートフォンで安寿と一緒に写真を撮りたいと言い出したので、安寿は咲とも並んで伊藤が写真を撮った。岸も伊藤夫妻も楽しげで、安寿はどうしても記念撮影を断れなかった。終始、安寿は一生懸命に笑顔をつくった。

 四人がサロンに戻ろうとすると、郵便局員が配達にやって来て、分厚い年賀状の束とともに赤い小包を咲に手渡した。それを見た咲はぱっと目を輝かせて安寿に大声で伝えた。

 「安寿さま、アイスランドの航志朗坊っちゃんから航空便ですよ!」

 目を見開いた安寿はその丁寧に包まれた大きな柔らかい包みを受け取った。その赤い包装紙にはもみの木が細かく印刷されていた。にっこりと微笑んだ咲が小包に見入っている安寿に言った。

 「これからお正月のお料理をご用意いたしますので、安寿さまはお部屋で航志朗坊っちゃんからの贈り物をゆっくりご覧になってきてくださいね」

 心から嬉しそうに安寿はうなずいた。

 岸家の二階の長い廊下を安寿は着物の裾にも構わずに走って自室に向かった。安寿はベッドに腰掛けて、小包に貼られた白いラベルに記された航志朗の手書きの端正なアルファベットを見つめた。

 宛先には「Miss.」でも「Mis.」でもなく、「Mrs. Anju Kishi」と書かれている。安寿は左手の薬指の結婚指輪の感触を意識した。

 安寿はゆっくりと丁寧に包装紙を開いていった。中から淡い紫色の地に細かく葉のような模様が編み込まれたセーターとマフラーと手袋が出てきた。安寿はすぐに思い出した。

 (この色って、ゆめちゃんが「霧のなかのお姫さま」のドレスの色に選んでいた色だ。私も好きな色。でも、絶対に私には似合わない色だから、着たことがない色。きっと、彼はそれを覚えていてくれたんだ……)

 安寿は航志朗からの贈り物を抱きしめた。そして、気づいた。白い厚手の封筒が入っている。その封筒の中から二枚の便箋を取り出して、一枚目の便箋に安寿は目を落とした。

 安寿へ

 MERRY CHRISTMAS!
 
 クリスマスと年末年始に帰国できなくて、ごめん

 結婚して初めてのクリスマスと正月を、君と一緒に過ごしたかった

 アイスランディックウールのクリスマスプレゼントを、君に贈るよ

 君に気に入ってもらえるといいけど

 航志朗

 温かい気持ちが身体じゅうに広がって安寿は心から嬉しくなって微笑んだが、二枚目の便箋を見て安寿は仰天した。一枚目はシンプルなメッセージで余白が多かったが、二枚目はすき間なく文字が書き込まれている。その美しいアルファベットの筆記体に安寿は見入った。そして、気づいた。それは英語で書かれていない。おそらくフランス語だ。

 (何が書かれているのか、全然わからない……)

 思わず安寿はため息をついた。

 一月一日の朝、レイキャビクのアパートメントで一人起き出した航志朗はコーヒーを飲みながらノートパソコンを開けてメールをチェックしていた。ふと気づくとプライベートのアドレスに二件メールが送信されていた。一つ目は伊藤から、二つ目は安寿からだった。航志朗はまず安寿からのメールを開いた。

 航志朗さん

 明けましておめでとうございます

 先程、アイスランドからの小包を受け取りました

 とても素敵なプレゼントをありがとうございます

 今、着物を着ているので、まだ袖を通していないのですが、とても嬉しいです

 どうぞ温かくして、おからだにはくれぐれもお気をつけてください

 安寿

 思わずにんまりした航志朗は頬杖をついて、ぼそっとつぶやいた。

 「安寿、着物を着ているのか。……見たかったな」

 それから、航志朗は伊藤からのメールを開いた。

 航志朗さま

 明けましておめでとうございます

 本年もよろしくお願い申し上げます

 添付ファイルにて、お写真をお送りいたします

 伊藤

 「……写真?」

 伊藤からのメールに二枚の画像が添付されていた。すぐに航志朗は画像を開いた。

 その瞬間、航志朗は琥珀色の瞳を見開いた。着物を着た安寿の姿がその目に焼きついた。一枚目はサロンでソファに座っている姿で、二枚目は岸家の庭で撮った全身の写真だ。自然光に照らされて色鮮やかに映っている。少し青みがある柔らかい黄緑色の着物が安寿の素肌に映えてよく似合っている。それに少し化粧をしているようだ。航志朗の胸はいやがうえにも高鳴った。

 航志朗は自分の額をテーブルにぶつけた。重く鈍い音がした。マグカップの中のコーヒーが飛び跳ねて、ダークブラウンのしずくがテーブルの上に飛び散った。

 (安寿に会いたい。そして、彼女をこの腕の中に抱きしめたい……)

 
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