今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第2節

 ゆっくりと航志朗は目を開けた。

 (……今、俺は、どこにいるんだ?)

 またいつものようにぼんやりと思った。

 窓の外から子どもがはしゃぐ声が聞こえてきた。

 「パパー、待ってよー」

 日本語だ。

 (ああ、そうか。東京に帰って来たんだ……)

 スマートフォンの時刻を見ると、午前九時すぎだ。
 
 アンとヴァイオレットのウエディングパーティーに出席した夜、航志朗に日本からメールが来ていた。気づいたのは翌日で、ホテルのダイニングで遅い朝食をとっている時だった。それは航志朗の実家の執事の伊藤からで、伝言があるので都合のよい時に電話をしてほしいという短い文面だった。
 
 その日のうちに航志朗は伊藤にオフィスから電話をかけた。学生の時は実家から仕送りをしてもらっていたので、数か月に一度は伊藤と連絡を取っていたのだが、シンガポールでアンと起業してからはまったく連絡を取っていなかった。

 「航志朗坊っちゃん、たいへんごぶさたしております。シンガポールに移られてからも、お元気でいらっしゃいますよね?」

 「伊藤さん、お久しぶりです。まあ、元気にしています。伊藤さんも咲さんもお変わりありませんか?」

 「ありがとうございます。おかげさまで、私も妻も元気にしております。さっそくですが、華鶴奥さまが航志朗坊っちゃんと直接お話がしたいとおっしゃっていまして、近いうちにご帰国されて画廊の方に来ていただきたいそうです」

 伊藤は言いづらそうに航志朗に華鶴からの伝言を伝えた。

 「母がですか? ……承知しました。予定を調整します」

 平然とした様子で航志朗は答えた。

 (あの女が俺になんの用だ?)

 久しぶりに母の名前を聞いて、航志朗は急に腹立たしい気持ちになった。航志朗は握っていたペンで目の前のメモ用紙を黒く塗りつぶした。

 航志朗は実の母に自分の幼少時代を完全に壊されたと思っている。母に対して嫌悪感以上の憎しみを航志朗はずっと胸の内に抱いてきた。
 
 航志朗は優秀な子どもだった。何をさせても抜群に覚えが早く、なんでもずば抜けてできた。どこに行っても周りから一目置かれた。そんな航志朗に母は過剰な期待をした。母は早期教育に熱心で、航志朗にあらゆることを次々にやらせた。絵画はもちろんのこと、ピアノ、バイオリン、算数、英語、フランス語、空手、水泳、サッカー等々と。航志朗は画家の父とギャラリストの母の血を引く子どもで、芸術家のサラブレッドだ。特に絵を描く才能を母は見い出した。そして、当然のごとく自らの人脈を使って有名な画家たちに航志朗を師事させた。無力だった幼い航志朗には、それに抵抗する術はなかった。ただ母の言いなりに日々与えられたタスクをこなしていく毎日だった。

 今振り返ると、この頃から大人になった今でも自身をたびたび苦しめる不眠症が始まっていたと航志朗は思う。母にスケジュールが決められた長い一日が終わって、自室に戻って一人になるとわけもなく涙が出てくることがよくあった。しかし、幼い航志朗本人には身体的にも精神的にも母親に虐待されているという自覚はなかった。心から慕っていた祖母の逝去後、航志朗は次第に無口になり笑わない子どもになった。
 
 そんな子どもらしさがない航志朗を心配したのが、当時存命だった航志朗の祖父と岸家の使用人の伊藤夫妻だった。まだ若くギャラリストとしての仕事に情熱を注ぎ、またプライベートでも派手に遊んでいた母の華鶴は育児を放棄しているのも同然だった。航志朗が熱を出しても母は外出し、その看病は伊藤夫妻の仕事になっていた。子どものいない彼らは、実の子どものように航志朗に愛情を注いだ。

 航志朗の父方の祖父、岸新之助(きししんのすけ)は岸家の婿養子で、曾祖父から事業を継いでいた。祖父は晩年まで精力的に働き、家に不在のことが多かった。祖父は、祖母を亡くしたばかりの航志朗の八歳の誕生日に一匹の子犬をプレゼントした。真っ白い毛並みで賢そうな目をしたメスの紀州犬だった。はじめ航志朗は犬を怖がったが、犬の方が先に航志朗に懐き、いつも一緒にいるうちに航志朗はその犬を可愛がるようになった。その犬の名前は「アン」。航志朗がフラ・アンジェリコから名付けた。

 その頃、父の宗嗣は人物画家から風景画家に転向した。なぜか航志朗には、その当時の父の記憶がない。一緒に同じ屋敷で暮らしていたはずだが、父の姿をほとんど見なかったような気がする。今思えば不可解なことだ。父はいったい何をしていたのだろう。おそらくアトリエにこもりっきりだったのかもしれない。

 また、航志朗には秘密の場所があった。眠れない夜にこっそりと屋敷を抜け出し、犬のアンをともない屋敷の裏の森に出かけた。暗闇のなかを少し歩いて池にたどり着くと、そのほとりに立っている大きな樫の木の根元にもたれてしゃがんだ。その小さな胸にアンを抱きしめながら。すると、航志朗はひとときの間、深い眠りに落ちることができた。何も予定がない時間はアンと裏の森に来て過ごした。この岸家の裏の森は、傷ついた子どもの航志朗を休ませ、そして、航志朗をアンとともに守ってくれた。

 今、航志朗は、祖父が生前に執務室兼プライベートな別宅に使っていたマンションの一室にいる。五十年前に建てられた日本の近代建築史に残るデザイナーの設計による集合住宅だ。このマンションは祖父の遺言で航志朗が相続した。日本を離れていることもあってずっと伊藤に管理してもらっている。伊藤は十年ぶりに帰国することになった航志朗のために、快適に滞在できるようメンテナンスとクリーニングをして、最低限必要な家電や食器や寝具などを用意しておいてくれた。「久しぶりにご帰国される航志朗坊っちゃんに、ホテル暮らしなどさせられません」と言って。

 航志朗はベッドから起きだしてシャワーを浴びた。そして、バスタオルを腰に巻いたまま、伊藤が用意しておいてくれた全粒粉の食パンをトースターに入れ、コーヒーを淹れた。冷蔵庫を開けると、牛乳と少量のハムやチーズ、リーフレタスとミニトマト、リンゴ、バナナ、ストロベリージャムとブルーベリージャムが並んでいる。ジャムはガラスのキャニスターに入っていて明らかに手作りだ。きっと咲がつくったのだろう。

 (やれやれ、俺をまだ十五歳の子どもだと思っているようだな)と航志朗は思ったが、昨夜遅くに帰国したにも関わらず、伊藤は羽田空港まで岸家の車で迎えに来て、マンションまで送ってくれた。車中では何も語らずに「航志朗坊っちゃん、どうぞごゆっくりとお休みください」とだけ言って、マンションの鍵と駐車場に停めてある岸家所有の車の鍵を渡して帰った。もちろんこの車も整備済みだった。

 航志朗はひとりでマンションに入り、ダイニングテーブルの上に用意されていたおにぎりを口にした。懐かしい味、懐かしいこの部屋の匂い。航志朗はたちまち安心感に包まれた。家具や調度品も祖父が使っていた頃のままだ。

 航志朗は、特にフランス製のブックシェルフが気に入っていた。ガラス扉がついたオーク材の重厚ではあるがシンプルなデザインで曾祖父が購入したものだ。中には、今も曾祖父と祖父の蔵書が並んでいる。そのほとんどが英語とフランス語の洋書だ。

 航志朗はベッドにもぐり込むと、ブランケットにしみこんだ陽の香りと温もりに気づいた。きっと伊藤か咲が日光に干しておいてくれたのだ。今も伊藤夫妻が自分を大切に思ってくれていることを心底感じ、航志朗は素直にふたりに感謝の気持ちを持った。実の両親以上に世話になってきた伊藤と咲に自分はこれからどういう形で感謝をしたらいいのかと航志朗は考えながら、久しぶりに深い眠りについた。

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