今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 その一週間後の日曜日、安寿と航志朗の結婚一周年がやって来た。そして、その日は航志朗の二十七歳の誕生日だ。

 安寿はまた早朝から驚かされた。昨年、結婚指輪を注文した銀座の三石宝飾店の社長が自ら岸家を訪ねて来たのだ。

 その時、また安寿は庭でスケッチをしていた。すると、門の前に真っ赤なスポーツカーが停まった。中から上品なスーツを着こなした見覚えのある年配の男が小型のジュラルミンケースを持って降りて来た。三石社長だ。一年ぶりに安寿に会った三石は胸に手を当てて思った。

 (これはこれは、また一段とお美しくなられて。この三石、光栄の至りに存じます)

 「安寿お嬢さま。岸航志朗さまからご用命をいただいております。本日はご結婚一周年おめでとうございます。心よりお祝い申しあげます」と言って、三石はジュラルミンケースをうやうやしく開け、丁寧に包装された小包を安寿に手渡した。

 安寿は呆然として受け取ったが、自分の手が鉛筆の黒鉛で汚れていることに気がついた。安寿は三石に礼を言うと、あわててスケッチブックをめくって、何も描かれていない紙の上に小包をのせて自室に戻った。洗面台でよく手を洗ってきてから、安寿はベッドの上に座って小包をゆっくりと開けた。中には、真っ白なベルベットの生地で作られたジュエリーボックスが入っていた。

 おずおずとジュエリーボックスを開けると中央に大きな一粒のダイヤモンドがあしらわれたソリティアリングが収まっていた。きらびやかなダイヤモンドの輝きに安寿は思わずため息をついた。

 (こんなとても高価な指輪なんて、私なんかにはもったいないのに)

 すぐに航志朗から電話がかかってきた。

 『安寿、俺たち結婚一周年だな! もちろん指輪のサイズはぴったりだよな』

 「航志朗さん、ありがとうございます。今、つけますね」

 安寿は指輪を右手の薬指にはめた。ちょうどよいサイズだ。

 「ぴったりです。航志朗さん」

 指輪はきらきらと輝いている。安寿は手を挙げて、午前の陽光に透かした。

 (なんてきれいなの。この輝きを彼と一緒に見たい)

 『そうか、それはよかった』

 スマートフォンの向こうで、航志朗は満足そうに笑ったようだった。

 「航志朗さん、お誕生日おめでとうございます。あの日本時間で、ですが」

 航志朗は時計を見た。アイスランド時間で誕生日前日の午後十一時五十八分だ。

 『こっちも、もうすぐ日付が変わる。ありがとう、安寿』

 「あの、航志朗さん。歌を歌ってもいいですか?」

 『ん?』

 安寿は定番のハッピーバースデーソングを歌い始めた。歌い出してはみたものの、急に恥ずかしくなった安寿は、だんだんささやくような歌声になっていった。安寿の歌声は高くもなく、かといって低くもなく、航志朗の耳に心地よく響く柔らかい声だ。

 スマートフォンに耳を強く押しつけて目を閉じた航志朗は、その歌声に心が温かく満たされていくのを感じた。

 アイスランドの日付が変わった。顔を真っ赤にした航志朗は、頭を抱えて身悶えた。

 (ああ、もう安寿が可愛くて愛おしくて、たまらない!)

 航志朗の誕生日はそれだけでは終わらなかった。その日の午後に、安寿からの国際郵便が届いたのだ。

 (安寿から郵便? いったい何が入っているんだ)

 航志朗は小さな子どものように胸を弾ませながら封筒を開けた。中からたくさんの真っ赤なバラの花が描かれたイラストレーションボードが出てきた。裏側には「航志朗さん お誕生日おめでとうございます 安寿」と丁寧な文字でメッセージが書いてある。思わず航志朗は胸が熱くなった。

 (先週、安寿の誕生日に贈ったバラの花を描いてくれたのか。それにしても、彼女の自画像のようだ)

 航志朗はしばらくその絵を眺めていた。そして、バラの一輪一輪にそっと指先で触れた。まるで安寿の唇に何回もキスするかのように。そうしていると安寿の肌の温もりを生々しく思い出して、もうどうしようもなくなってくる。

 航志朗はあることに気づいた。

 (あれ? もしかして……)

 急いでスマートフォンを繰って、先週バラの花束を注文した東京のフラワーショップのホームページを開いた。航志朗の胸は高鳴る。航志朗は安寿が描いたバラの花の数を慎重に数えた。

 (全部で九十九? ずいぶんと中途半端な数だな)

 航志朗はホームページを真剣になって見つめた。その瞬間、航志朗は歓喜のあまりベッドの上を転げ回って、最終的には壁に腰を思いきりぶつけた。航志朗は腰をさすりながら思った。

 (「ずっと、あなたが好きでした」って、本当か、安寿!)






 





 

 





 












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