今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 突然、安寿からの通話がとぎれた。すぐに航志朗はかけ直したがつながらない。床につけた両足が震え上がってくるのを航志朗は気を張って無理やり止めた。

 (父が倒れたのか。安寿に俺と離婚しろと言い残して……)
 
 気がつくとエコノミークラスの搭乗が始まっていた。航志朗は身体を不規則に揺らしながらその最後尾に並んだ。なんとか座席にたどり着くと、震える手でシートベルトを締めた。それから十五分後、航志朗を乗せた飛行機は、一路、成田空港に向けてフィンランドから飛び立った。

 暗闇の中、救急車で岸が運ばれて行くのを、咲に肩を抱かれながら安寿は岸家のエントランスで見送った。咲に目配せをして、伊藤が意識のない岸と一緒に乗り込んだ。

 救急車が見えなくなると、咲はそっと安寿に言った。

 「さあ、安寿さま、お着替えしましょうね。お風邪をひいてしまいますから……」

 安寿は何も答えない。安寿の身体は硬直して小刻みに震えていた。咲は安寿の身体を抱くようにして支え、安寿の部屋に連れて行った。

 「安寿さま、失礼いたしますね」と言って、咲はクローゼットの引き出しから安寿のインナーを取り出した。厚手のセーターとウールのスカートもだ。それをモデルの衣装のままでベッドに座り込んだ安寿の膝の上に置いた。そして「少ししたら、また参りますね。温かいお茶を淹れて」と言うと、眉をひそめて咲は安寿の部屋を出て行った。

 咲がいなくなると、安寿は膝の上の着替えを抱きしめた。安寿の頭のなかには、けたたましい救急車のサイレンの音と真っ赤に点灯したライトのどぎつい光がいつまでもこびりついていた。あっという間に涙がたまって着替えの上にこぼれ落ちた。

 「岸先生、……岸先生」

 安寿は何回も岸の名前をかすれてくる声で呼んだ。胸が苦しくて仕方がない。もっと早くに岸の体調の変化に気づいていれば、こんなことにはならなかったはずだ。心の底から安寿は自分を責めた。そして、思いつめた顔をして安寿は思った。

 (私が、岸先生を殺してしまったのかもしれない……)

 大声を出して泣き出すと、安寿はベッドの上に突っ伏した。見知らぬ匂いがした。安寿は思い知らされた。はじめからここは自分のいる場所ではなかった。もうここからすぐにでも出て行きたい気持ちになる。それから、またひとしきり泣くと、目を真っ赤にした安寿は窓の方を向いてつぶやいた。

 「私、離婚しなくちゃ。……岸さんと」

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