今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 車はしばらく走って、大きな公園の広い駐車場に到着した。車は一台も止まっていなかった。航志朗は駐車場の一番すみに車を停めた。雨足がさらに強まってきて、辺りは暗く視界が悪くなってきた。

 航志朗は自分のシートベルトを外してから、手を伸ばして安寿のシートベルトを外した。安寿の胸の鼓動が早まった。安寿は車のドアぎりぎりに身を寄せた。そのまま航志朗は安寿を強引に抱き寄せようとしたが、安寿のある様子に気づいた。

 (安寿が、……震えている)

 胸が痛んだ航志朗は運転席に戻り、深呼吸をしてから努めて穏やかに尋ねた。

 「安寿、さっきの『就職希望』ってどういうことなんだ? 大学に進学しなくていいのか」

 安寿は下を向いてうつむいた。航志朗は自分を抑えきれずに、安寿をとがめるような強い口調になって言った。

 「以前、俺は君に本当のことを言ってくれと話したよな? 君が本当のことを言ってくれないと、俺は君の本当の気持ちがわからない。だから、安寿、俺に本当のことを言ってほしい」

 (きっと「好きな男がいる」って、言うんだろうな……)

 航志朗は思わず眉間にしわを寄せて目を閉じた。

 しばらく沈黙してから、安寿は下を向いたまま微かな声で言った。

 「美大は、……お金がかかるんです」

 「ん?」

 安寿の予想外の言葉に、航志朗の思考が一瞬止まった。

 安寿は震える声を全身で絞り出すようにして、その本当の気持ちを語り始めた。

 「私は大学に行きたいです。でも、美大はお金がかかるんです。美大付属の高校に合格した時、私はそれがわかっていなかった。叔母は北海道に行く前に、私に通帳と印鑑を渡してくれました。大学の学費に使いなさいって。でも、そのお金って、おじいちゃんとおばあちゃんの土地と家を売って得たお金なんです。私、とてもじゃないけれど使えないです。だから、就職して学費を自分で稼いでから大学に行きます。それに、……それに私が就職すれば、航志朗さんを自由にしてあげられるから!」

 最後に安寿は大声で叫ぶように言って大泣きしはじめた。安寿の制服のスカートが大粒の涙でみるみる濡れていった。

 航志朗はあまりの衝撃に言葉が出なかった。だが、航志朗の身体はごく自然に動いた。縮こまった安寿の身体に腕を回して、安寿をしっかりと抱きしめた。

 「何を言ってんだよ、安寿。この俺をとことん利用すればいいじゃないか。俺はきっと君の想像以上に稼いでいる。俺が君の学費を出すから、安心して大学に進学しろ」

 「そんなことできないです!」

 航志朗に抱きしめられながら、安寿は頭痛がしてきた。そういえば、さっきから悪寒がひどくなってきている。安寿は自分の身体を抱えて震え出した。

 「安寿、どうした?」

 「すいませんが、私、……体調が悪いです」

 航志朗はあわてて安寿の額に手を置いた。そこはとても熱かった。航志朗は驚いてあせりながら叫んだ。

 「安寿、すぐに家に帰ろう!」

 航志朗は安寿にシートベルトを装着してから、自分の着ていたジャケットを脱いで安寿に掛けた。そして、すぐに車を発進させた。

 岸家のサロンの大きな窓の前では、伊藤が安寿と航志朗の帰りを待ちわびていた。伊藤が腕時計を見ると午後六時を過ぎている。雨が激しく降り続いていて、その雨音が伊藤の不安をいっそうあおった。

 (航志朗坊っちゃんは、安寿さまを連れてどこに行かれたんだ? やはり面談には私が行くべきだった……)

 伊藤は大いに後悔していた。航志朗の「安寿の保護者は僕です」と言う強引な主張に押されて、この日のために新調したネクタイとスリッパを航志朗に渡してしまったのだ。

 そこへ夕食の仕込みを済ませた咲がやって来た。

 「まあ、また雨足が強くなってきましたね。秀爾(しゅうじ)さん、大丈夫ですよ。安寿さまと航志朗坊っちゃんは久しぶりにお会いして、どこかで雨やどりをしながら、ゆっくりおしゃべりでもされているんじゃないですか」

 無言で咲を見つめてから、窓の外に視線を戻した伊藤は車のヘッドライトに気がついた。窓の外を見ると航志朗が傘もささずに岸家のロートアイアンの表門を開けていた。

 「安寿さま!」

 伊藤は急いで玄関に向かった。

 















 

 
























 
 




















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