翳踏み【完】
「あとで構うから、離せ」


聞いたこともないくらいにぶっきらぼうな言葉だった。二人の間柄に遠慮なんてないみたいな声だ。

私にかける優しい声でも、苦しそうな瞳でも、強引な指先でもなかった。自然に笑う先輩に、言葉が出ない。迎えに来ました? 一緒にご飯食べましょう? 好きです? それとも、何だろう。ほんの少し前までこの胸にあった決意が砕けそうだ。


「いやだ。毎日じゃん。どこ行ってるの」


先輩の後ろにいるだろう人が、拗ねたような言葉で抱きしめる指先を強くする。それを見ただけで嫌な気持ちになるなんて、私は本当に汚い。好きすぎてしんどい。

好きすぎて、他の誰かと触れあっているところを見るだけで肺が刺されるように痛くなる。


「しずか」


もう一度、当たり前に先輩が呟くのを見て、無理だと思った。引き返そうとして、震える指先に絡まっていたランチバッグが落ちる。乱暴な音を立てて落ちてしまったそれを急いで引っ掴んでから、振り返った先の先輩と視線がぶつかった。


「なつ、き?」


その言葉を聞いたら謝罪することも好きだと告げることもできずに走り出した。今はダメだ。

今じゃだめだ。あんまりにも汚い。先輩が好きだと告げるには、あまりにも心が汚れすぎている。
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