その背は美しく燃えている【中編】

深める

 海辺凪は悪魔ではない。佐野はそれだけを知っている。何度か学校内で見かけたことがあるし、なにより、彼女の雰囲気がとても悪魔のそれとは思えなかった。

 悪魔について容姿が出回っているわけではない為、彼女が学校生活を送るにおいて実害はないらしい。というのも仮定の話であって、実際どうかは分からない。分かるとしても、彼女を見かけるのは常に上級生が使用する階だから、年上なんだろうなぁぐらいだ。


 教室の時計と腕時計を見比べると、ともに五時二十分を指していた。用意していた鞄を引っ掴んで美術室へと向かう。火曜日五時半、美術室。食事の前に手を洗い、食事の後に歯を磨くのと変わらない事である。

 青森は本格的な冬を懐深く迎えているようで、十二月下旬ともなれば、空気が歯にしみるような毎日が当たり前のように続いている。廊下から空を見上げると、晴れ切った夜空に、星の光がぱらぱらと落ちて散らばっていた。そのうちでも一等輝いているオリオンは微妙な傾斜で三つ並んでいる。どこかで聞いた話によると、今見えている、こんなにも磨き抜かれた星はずっと昔に消えた光の残骸らしい。もしかしたら佐野の知らないうちにオリオン座も消失しているのかもしれないと考えを巡らせて、訳もなく虚しくなった。

 バレー部のこと。凪のこと。残り時間の少ないものばかりが並べられていて、どれから手をつけて良いのか分からない。だからこのまま朝なんて来なければ良いと柄にもなく感傷的になるのだって、そのせいだ。

 面倒ごとをすべて冬空に当てつけて、佐野は深呼吸する。張り詰めた空気の味は鉛色であろう。



 塗装の剥げかかった引き戸を、うんと力を入れて開く。いつも通り、月光に影を縁取られた凪が、あの向日葵の絵と向かい合って座っていた。佐野は軽い挨拶を放つ。それに気づいた凪だったが、曖昧な返事だけを寄越して、再び絵と向き合ってしまった。それもいつもの事なので、佐野のいささか血色の悪い唇が、やさしい形に笑いを作るだけに終わる。


「また見てるのか?」


 言いながら、さり気なく凪の隣に座る。彼女は絵と目が縫い付けられたように動かない。そこで、佐野の心はただ混沌とした、じめじめとした、わだかまりが空を満たしている月光のように、ひっそりと佇んでいることに気づいた。凪と出会った時から時折顔を出すこの感情に、佐野は名前をつけられないでいる。
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