嫌わないでよ青谷くん!
 単純に、ラッキーだと直子は思った。

 おそらくこのくらいの美貌があればカースト底辺を這う人にはならない。高校生活最初の友人にするにはぴったりである。

 確信した直子は業務用の笑顔を顔に張り付けて、青谷くん、と名前を呼んだ。彼は鬱陶しげに目を細めた後、ややあって唇を開く。



「……なに」



 犬が唸るような声色だった。余りにも身も蓋もない、迷惑だ、という感情を押し付けられた直子は戸惑いに笑顔が剥がれそうになる。が、なんとか持ち直し、再び口角を上げて青谷に話しかける。



「私、山崎直子。隣になったのも何かの縁だし、良ければ名前教えて欲しいんだけど」


「座席表みれば」



 直子は自分の体が固まるのを感じた。座席表を見たところで、また「英」と表記された音を持たない文字を知るだけだ。

 痛いところを突かれて嫌な汗が溢れる。何と返答しようか考えあぐねていると、アンニュイな雰囲気を醸し出していたのが一転、新しい玩具を与えられた子供みたいに輝きを放つものになった。

 これはまずいのでは。そんな感覚が浮上したところで時すでに遅し。


 青谷は机の横に掛けていたリュックを手にしたかと思うと、その中を漁り始め、スポーツメーカーのロゴが入った黒光りする筆箱と、ノートを取り出した。事態に頭が追いつかず混乱する直子を他所に、青谷はノートに文字を踊らせる。書き終わって満足気に小さく息を吐いた後、彼はノートを直子の机に置いた。

 瞬間、直子の顔が青ざめる。



「これが俺の名前。好きに呼んで」



 ノートには、止めはねはらいが無視された、「青谷英」という文字がデカデカと書かれていた。

 しかもこの文字を読めと彼は言う。おそらく青谷は直子が名前を聞いた瞬間から、青谷の下の名前を読めないであろうことを理解したのだろう。だからってタチの悪い。

 自分が劣勢に追い込まれていく状況に苛立ちが募ってゆく。



「青谷……くん、だよね?」


「下の名前は? 折角教えたのに」



 無表情を貫いているが、我慢できませんというように忙しなく持ち上がろうとする青谷の口角が全てを物語っている。直子は苛立ちが最高潮に達し、ブルドーザーのような勢いで叫ぶ。



「はなぶさくん! よろしくね!」
< 2 / 18 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop