Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~【シーズン1】

9.桜子、独り反省会


【妹はCherry bomb(3/3)】

 ********************

 ドアが閉まり、桜子はぱちっと目を開いた。
(って、何もせんのかーい!)
体勢的にはよ? “ベッドに押し倒した”状態で? 人の寝顔をじっと見ろした挙句に、何を紳士的に立ち去ってんだっ!
(イ●ポテンツかああああっ!)
前回に引き続き、暴走中の桜子さんをお楽しみください。


 実はお兄ちゃんに抱き上げられた時、桜子は目を覚ました。新婚さんのようにベッドに自分を運ぶお兄ちゃんの顔も、ベッドで自分を見下ろす真剣なお兄ちゃんの顔も、薄眼を開けて見ていた。はっきり言って“覚悟”さえしていた。

 まあ、それでも……桜子の顔が、また人としてギリギリのラインまで緩んだ。
(えへ、えへへ……お姫様ダッコ~///)
あのリビングからベッドまでの数分間は、桜子ちゃんの生涯最ッ高に幸せな時間でしたあ……///


 ちゃうねん。


 桜子はむくりとベットに起き上がり、崩し正座で膝の間についた、自分の手をじっと見つめた。

(ていうか、桜子ちゃんの生涯最ッ高に事故ったわ……)

 ゲームに夢中になって、実の兄に“ムチュウ///”ってして、号泣して、お返しのチューをおねだりして、「お兄ちゃん、だいしゅき」の挙句泣き疲れて、寝た……本能の赴くままかよ。

 もはや、リビングの中心でアイを叫んだケモノ……!

 せめて人間らしくうぅぅ……!


 桜子はぱたりと仰向けになった。
(……やらかしたなあ……)
さすがに、お兄ちゃんも呆れただろうな。
(本当に、お兄ちゃんに嫌われちゃったかもしれない……)
ぐすっ、さっきあれだけ泣いたのに、何かまた込み上げてきた。

「お兄ちゃぁん……」


 桜子は慌てて袖で涙を拭った。人体の約70%が水分とはいっても、この調子じゃ明日の朝までに、あたしはミイラになってしまう。
(それに、こんなんじゃ本当の本当にお兄ちゃんに愛想をつかされる)

「いやだあ……」

 桜子の右ストレートが、
(だから、ヤメろって言ってんだろっ!)
弱々しく桜子の右頬をぺちっと叩いた。
(痛いよ……)
桜子は横向きに転がって、膝を抱えて丸くなった。
(今までの、どの自分パンチより、痛いよう……)
堪えきれない涙は、せめて声を出さずに。隣にいるかもしれないお兄ちゃんに、絶対聞こえないように……


(好きなんだよう……本当に、大好きなんだよ、お兄ちゃん……)



 **********

 また少し、眠ってしまったようだった。

 部屋は薄暗くなっていた。桜子は立ち上がって電気をつけ、ベッドの上に戻ってへたんとお尻を落とした。何だか、頭がぼうっとする感じだった。

 無意識に、右手がシーツを撫で回していた。桜子は自分が、さっき確かにこのベッドの上にいたお兄ちゃんの、いたところを探しているんだと気づき、左手で右手を取って太ももの上に置いた。
(何か……ポンコツだな、今日のあたし……)
お兄ちゃんと楽しくゲームをしていた昨日と一昨日が、何だか遠い夢か幻のように思われた。

(あ、夢と言えば)


 桜子はふと、夢うつつで聞こえた“おかーさん”の言葉を思い出した。自分が家族と距離を取ろうとしていた頃を忘れ、子ども返りしているって話だ。
(そう……なのかな? じゃあ、あたしのお兄ちゃんへの気持ちって、実は恋とかじゃなくって、子どもの、異性の家族への憧れみたいなものってこと……?)
小さい子のよく言う、「お兄ちゃん大好き」「あたし、大きくなったらお父さんと結婚する」、みたいな?

 桜子はしばし考え込み、はあっとため息をついた。
(わかんないよ……だって、何も覚えていないんだもん……)
記憶をなくして、遼太郎さんに恋をしたのか。記憶をなくして、お兄ちゃんを慕っていた妹に戻ったのか。


 ただ、はっきりしているのは、自分がお兄ちゃんに対し、“明確な●欲を向けている”ことである。
(無垢な子どもでは……ないかもしんない……)
深刻に悩める少女をしていた桜子は、しょーもない煩悩の部分にぶつかり、しばし前衛ダンスのようなポーズで、それが過ぎ去るのを待った。


 ともあれ桜子は、自分の感情を確かめる拠りどころが何もないことに、急に不安と寂しさに襲われた。

 記憶を失って初めて、桜子に自分のことを思い出したいという気持ちが芽生えた。



 **********

 そうして思いが巡っても、今の桜子の心を占めているのは、結局今日の失態のことだ。お兄ちゃんにはめちゃくちゃ会いたいんだけど、今はお兄ちゃんに絶対会いたくなかった。
(てか、合わせる顔がねえ……どんな顔して会ったらいいか、わかんねえ……)

 だが、悲しいのは人間の生理現象である。


 つまり、♪どうしって、おっなかがへっるのかなー、だ。考えてみると、お昼ごはんも食べていない。そろそろ晩ごはんの時間だけど、お兄ちゃんと“おかーさん”の前であれだけのことをやらかし、どのツラ下げて食卓につけというのだ……

「桜子―、ごはんよー? 起きてるー?」
「っ?!」

 コンコン、とノックの音とともに、死刑宣告が来た。桜子が息を殺して1分……2分……ドアの前の気配は、中に押し入って来ることはなく、階段を下りる音を立てて遠ざかる。ガチャと扉の開く音が二回して、よく似た足音が二つ、また一階へ下りていった。
「ふー……」
桜子は静かに深く息を吐き出すと、足音を立てないようドアの前に行く。


 階下から、かちゃかちゃと食器の音、家族の話し声、テレビの音なんかが聞こえてくる。
(みんな、ごはん食べてる……あたし、いないのに、ごはん……)
寝たふりで逃げたものの、家族が自分抜きで団欒をしていると思うと、何だかとてつもない疎外感というか、ものすごく寂しい気分に襲われて、桜子はベッドに戻って頭から布団をかぶった。

(あたし、いないのに……あたし……いなくてもいい子なんだ……)

(おなか、すいてるのに……誰も、あたしのこと気にしてくれない……)

 桜子は、どうしようもなく悲しい気持ちで、また涙の滲む目をぎゅっとつむり、布団の中で自分自身を抱き締めていた。



 **********

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 コンコン、とまたドアがノックされた。桜子が息を潜めていると、
「桜子、起きてるんだろ?」
(お……お兄ちゃん……っ?!)
「入るぞ」
返事も待たずに、ガチャッとドアが開かれる音がした。

 ぎし、ぎし、フローリングを踏む微かな音がする。かたん、テーブルに何かが置かれた音だ。どっく……どっく……これは自分の心臓が鳴る音。その後、部屋の中からは何の音もしなくなった。自分の心音だけが響く布団の中に耐え切れずに、桜子がそおっと目から上を布団の外に出すと……

「やっぱり起きてたな」
「ひゃああああっ?!」

 遼太郎が、真上から桜子を見下ろしていた。


 桜子が慌てて布団に潜り込み、
「寝てましゅっ!」
「ずいぶんハッキリした寝言だな」
遼太郎が布団を引っ剥がした。桜子は自らの肩を抱き締め、膝を胸の方まで引き寄せ、何だかすごく無防備な気分で、できる限り体を丸めて縮こまった。

「にゃっ、にゃにするんですかっ、遼太郎さんっ! 妹の布団捲るなんて、もしあたしが全裸で寝る派だったら、これもう責任取ってもらう案件ですよっ?!」
「家ではパジャマ着て寝ろ」

 遼太郎は昼のことで耐性をつけたか、さほどは動じない。


 ベッドでダンゴムシになっている妹に、兄はテーブルのトレイを指し示した。
「昼も晩も抜きゃ、腹減ってるだろ。食うモン持ってきたから食えよ」
「ひゃああいっ!」
桜子は慌ててベットの上で飛び上がる。テーブルの上のトレイには、オニギリが二つにお味噌汁の椀、お漬物の小皿に、お茶の入った湯呑が乗っていた。

 それを見た桜子は、不覚にも込み上げた思いを、必死で胸に押し込めた。
(ごはんっ……ごはんだあ。お兄ちゃんがごはん持ってぎでぐれだあ……あだじ、いらない子じゃながったあああ……)


 桜子は、ベットから滑り下りるように、テーブルの前に座った。“おかーさん”の心のこもったお夜食は、急いで作ってくれたのか、
「……ちょっとオニギリの形、ヘンだけど……嬉しい……」
桜子がまたも泣きそうになると、遼太郎が苦笑いした。
「悪かったな、形が変で。まあ、味は大丈夫だと思うから、文句言わず食え」
桜子は、オニギリに伸ばした手をビクッと止めた。

「え? てことは、このオニギリって……」
「俺が作ったんだよ。そうした方が桜子が喜ぶって、母さんが」


 な、何ですとっ?! ということは、この神々しい丸い物体は、お兄ちゃんが桜子のためにニギニギしてくれた……

「お兄ちゃんの手の成分が、満遍なく付着したオニギリ!」
「気持ち悪いな、発想が?!」


 遼太郎はちょっとムッとした顔で、桜子を見る。
「何だよ、俺が握ったのは気持ち悪くてヤだっての?」
「そっ、そんなことないですっ! むしろご褒美ですっ!」
「いや、それも気持ち悪いけど」

 桜子は引っ込めた手を膝に置いて、スンッと鼻を鳴らした。
「だって……あたし、あんなにお兄ちゃんに迷惑掛けたのに、オニギリまで作ってもらっちゃたら、本当に申し訳なくて……」

 しおらしくそう言う桜子に、遼太郎はクスっと笑った。
「バカだな。別に迷惑だなんて思ってねーよ」
遼太郎は桜子の傍らに膝立ちになると、中学生の顔のまま、中身が幼稚園児に戻ってしまった妹を頭を、ぽんぽんと撫でてやった。
「お兄ちゃん、あれくらいのことで、桜子を嫌いになったりしないからな」
桜子は、しばらく兄の大きな手でナデナデされるがままなっていたが……


「子ども扱いするなー!」
「ええーっ?!」


 くわっと真っ赤な顔を上げた。遼太郎は面食らう。
「いや、だって昼間だって、お前……」
「あたしは別に、子ども返りしてお兄ちゃんにチューしたわけじゃないですよ!」
自分でもよくわからないけれど、自分の“好き”を何もかも“小さな妹の好き”にされるのがイヤで、桜子はムキになった。

 が、困惑した顔の遼太郎に、
「じゃあ、何でしたワケ?」
「え? その、それは……」
当然の問いを返されて、桜子は答えに窮した。

(それは……あたしがお兄ちゃんにひと目惚れして、異性として好きだから……って言えるかあっ///)


 桜子は首から上を真っ赤にして、手をパタパタさせていたが、
「それは……ゲームです!」
「ゲーム?」

 思いつきにすがって、桜子は勢いのまましゃべりだした。
「そう、ゲームですよ! あたし、ゲーム実況が好きじゃないですか?!」
「いや、初耳だけど」
「今まで、YouTubeとか、画面でしか見たことがなかったのに……」
桜子は手のひらを合わせると、口元に当て、恥ずかしそうにもじもじしながら遼太郎を上目遣いで見つめた。

「あたし、経験ないのに……初めてなのにお兄ちゃんと生でしちゃったら、興奮し過ぎて、自分でもオカシクなっても、しょうがないじゃないですか……」
「待て! その表現は誤解を招く!」
「……?」


 遼太郎は腰を浮かしたまま、慌てて桜子の言葉をさえぎったが、きょとんとした顔を返されて、すっと腰を下ろした。
「すまない。お兄ちゃんの心が汚れていただけだったわ」
「???」
純粋無垢な妹の視線に、遼太郎は己を恥じ、咳払いした。
「わかった、ゲームが悪い」
「そう、ゲームが悪いのです」
桜子は我が意を得たりと、大きく頷いた。


 すると、遼太郎は真面目な顔をして、桜子を見た。
「じゃあ、明日からは一緒にゲームできないな」
「え……?」
「だって、ゲームはそんなに桜子に悪影響があるんだろ? 俺は兄として、可愛い妹にそういう悪いものを与えるわけにはいかない」
「えっ……だって、その、違……ええっ……」
桜子は真っ青になり、置き去りにされた子犬のような顔をする。
(うわあ、面白い(カワイイ)……)


 遼太郎はつい調子に乗り、
「じゃあ、桜子はどうしたいんだ? これからも、お兄ちゃんとしたい?」
桜子はぼっと頬を染め、可哀そうなくらい身を縮め、視線をそらす。
「え……あの、その……したい、です……」
遼太郎はその耳元に口を寄せると、
「よく聞こえないな。明日からどうする? もうヤメる?」

 と、桜子は下を向いたまま、びくっびくっと肩を震わせ、
「……するぅ……」
泣きそうな声でそう言うと、くたあっと遼太郎へと倒れ込んできた。


 遼太郎は桜子を抱き留めて、
(……ゲームの話だよな?)
割と冷静に我に返っていた。

 桜子はさらに二度ほど痙攣しつつ、
(はあ……はあ……言葉責めぇ……え? ゲームの話だよね……?)
兄が垣間見せた“恐ろしいモノの片鱗”に戦慄していた。


 兄妹の間に流れた変な空気を、

 ぐうー。

 微笑ましい音が折よく中和した。


 遼太郎はプッと吹き出して、腕の中の桜子を見下ろした。
「朝から何も食べてないもんな。で、食べるの、俺のオニギリ」
「もうっ、恥ずかしいな……うん、お腹すいた。食べる……」
桜子も照れ笑いして、身を起こした。


 オニギリを両手でつかんで、はむっと食いつく桜子を、
(ははっ、小動物(リス)みたいだな)
微笑ましく思って、遼太郎は立ち上がった。
「よし。じゃあ、食べたら風呂入って、ゆっくり寝とけよ」
「もぎゅもぎゅ……もきゅ?」
“空腹&お兄ちゃんの愛情”という最高の調味料のオニギリを、「日本人はやっぱりお米よね」とパクついていた桜子は、かくんと首を傾げる。

 遼太郎はきょとんとした様子の妹に、呆れ顔で鼻の下を擦り、心配そうな口ぶりで言った。
「明日から、久しぶりの学校だろ? ちゃんと休んどいたほうがいいぞ」


 もぐもぐ、ごくん。

 頬っぺたにごはん粒をつけて、桜子はオニギリを飲み込んだ。
(……そーだった)

 今日は日曜、だったら当然、寝て起きれば月曜日。
(夜が明ければ、明日は今日だ……)
桜子の静養期間は終わり、明日から一週間ぶりの学校生活が再開する。


 記憶をなくした桜子にとって、誰一人知っている友達のいない、通学路さえ覚えていない学校へ、明日から通学するんだった……


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