【改訂版】CEOは溺愛妻を杜に隠してる
愛しき者
四年後。
 かちゃり。

「お帰りなさい」

 満面の笑みで迎えてくれたひかるを護孝は凝視した。
 彼女の着物姿は何度も見ているのに、飽きることがない。

「……どうしたの」

 不安げなひかるの声に、護孝は我に帰った。

「ただいま、奥さん。あまりに美しい妖精が出迎えてくれたから見惚れてた」

「美しいも妖精も、盛りすぎですー」

 照れて、いーっという形になる生意気な唇。

 護孝はたまらなくなり、壁に追い込んで愛おしい(ひと)の唇を奪う。

「うんっ」

 思うさま貪り、ひかるの体からくったりと力が抜けたところで抱えあげダイニングに運んでいく。

 しつらえを確認して、護孝は目を細めた。

 普段は洋式だが、この日ばかりは和風に変わっている。
 錦地の古裂のテーブルクロスの上には朱と黒の漆器。
 桃の枝を飾った一輪挿しと、素朴な木彫りの雛。

「毎年、ありがとう」

 もう一度、ひかるの唇をついばんでから、彼女を椅子に座らせた。

「着替えてくるよ」

 ひかるは茹だったような表情でうなずくのみだ。

 待つほどもなく、護孝が戻ってきた。
 勝色の結城紬を着流しているさまは、能役者か茶道の家元と言われれば信じてしまいそうだ。

 ひかるがうっとりしていると、護孝は彼女の頬をちょんとつついた。

「あ、温めますねっ」

 護孝は新婚旅行のときに『敬語を使ったら、その分抱く』と宣言していた。
 散々躾け(・・)したはずなのに、彼女は慌てると敬語に戻る。

 今日もお許しが出たと、護孝は薄く笑う。

 振袖にたすき。
 その上に割烹着をつけたひかるは三十を超えて一児の母となった今も、なんとも可愛いらしい。

 護孝は、もうしばらくひかるに振袖を着てもらおうと考えている。
 甲斐甲斐しく食事の支度をする愛妻を、護孝は蕩けそうな目で見つめた。

 *****

 ……何年か前。
 まだ、婚約したての頃。
 多賀見家で行われている雛祭りの画像を見たときの衝撃は未だに覚えている。

 再会したとき、クロマツに抱きついていた彼女と重なった。
 焦がれるような想いに駆られた。

『女のお祭りだから、お裾分け』

 暗に男性は立ち入るべからずと書かれた、ひかるの祖母からのメッセージ。

 取引先にからかわれながら、妖精のようなひかるをまのあたりに出来る女性陣が羨ましくてしかたなかった。

 実りある会談を終えて自宅の玄関を開ければ、草履があった。

『お帰りなさい』

 パタパタと近づいてきたひかるは、振袖姿だった。

 見合いの日とは違う、薄桃色の着物。

『今日、雛祭りで着たんです。お祖母様が護孝さんにお見せしなさいって』

 恥じらうひかるを、ベッドに連れ込まなかった自分は驚異的な忍耐力だったと思う。

 さらに。

『護孝さんもお着替えされますか?』

 ひかるが、たとう紙から取り出してくれたのが結城紬の着物だった。

 ひかるの祖母は食えない女性ではあるが、このときの護孝は、彼女に一生尽くそうと思った。

 ひかるは、さらに木彫りの男雛と女雛を持参していた。

『小学生のときに、間引いた木をもらって彫ったんです』

 護孝はホテルにも雛人形を飾ってもよいかもしれないと思った。

 この日の夕食はちらし寿司に蛤の潮汁。菜の花の辛子和えに、だし巻き卵。

 桃の花びらをうかべた温い酒を注いでくれるひかるに、陶然となった。

 食器を洗い終わった彼女を、護孝は帰せなかった。
 後ろから抱きしめ、うなじに舌を這わせる。

『……護、孝、さん……』

 ひかるの声が、期待からか震えている。
 着物の上からふくらみを手で抑えただけで、大きく息を吐いた。

『ひかるは自分で着物着れる? 帯は結べる?』

 舌は耳を苛め、手は侵入経路を探してさまよう。

『……文庫か立て矢、ふくら雀なら』

 よくわからないが、着方の一種なのだろうと予想する。

 正直に答えてしまい、退路を自ら絶ったひかるに、護孝の唇が釣り上がった。

『脱がせ方を憶えるから、今晩はひかるが脱いでみせてくれないか』

 はじらいながらも、月の光に照らされて自ら肌を晒したひかるは神々しかった。

 護孝は、敬虔な想いで彼女を抱いた。

 くうくうと寝息を立てている彼女を見ながら考えた。

『そうだ。毎年三月三日は雛祭りの膳にしてもらおう』 

 そして『来年の雛祭りもこの振袖を着てくれないか』とひかるに頼んだ。

『既婚者でも振袖でもいいらしいんですけど』

 なぜか、ひかるは頬を染めた。

『子供が産まれたらダメらしいんです』

 はじらう妻に、護孝は思わず目を細めた。
 ひかると自分とのあいだに生まれた子は、どれだけ愛おしいことだろう。

『子供がいても問題ない。妖精を愛でるのは、俺一人だけだから』

 結婚後の初めての雛祭り。
 付け下げで出迎えたひかるに、護孝は以前見せてくれた薄桃色の振袖を着てくれるように頼んだ。

『桃の精になったひかるが見たい』
 護孝は、鮮やかな手つきで脱がせながら乞う。

『わかったから……、ぁ』
 以来、護孝も雛祭りを堪能している。 

『娘が産まれたら揃いで振袖を着てもらおう』

 *****

 もちろん、今年も。

「ひかるの振袖姿はいいな」

 夫婦の寝室で妻の襟元に手をさしこみながら護孝はひかるの耳をついばんだ。

「っ、子供もいるのに……?」
「それでもだ」

 結婚して十か月後に生まれた和雅は、護孝の実家でお泊まりだ。

 子供を気にしながら抱き合う背徳感もよいが、安否を気にしないでいい日は、愛し合う男と女に戻れる。


 この夜、授かった娘は『桃世』となづけられた。






 
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