【改訂版】CEOは溺愛妻を杜に隠してる
 妊娠は病気じゃない。

「とはよく聞くが、これはもう病気でいいんじゃないのか」

 護孝さんの声がおさえようのない怒気を孕んでいる。
 私に向けてではない。吐きすぎて点滴されている私の状態を憂えて、お医者様に文句を言っている。

「俺の妻はいい、助けてやれる手がある。だがシングルマザーや、低所得者層で健診費を全額負担は許せない」

 ……うちの旦那様、ほんと素敵。
 世が世なら、藩に善政を敷きまくったお殿様だったんじゃないかな。

「費用負担の可否については妊婦の加入している生命保険の内容にもよるのか」

 お医者様も自分への憤りではないと知り、怒れる獅子に穏やかに話せていそう。

「慎吾」
「はいよ。ひかるちゃん、お久しぶり」
 
 出た、護孝さんの懐刀。

「税理士と社労士と法務と一級FP技能士呼んどいた。あと俺が入って、お前はTV通話」

 そのメンバーが今回、護孝さんがしたかったことにつながるのかな。

 ところが護孝さんは慎吾さんの話を聞いて、眉をひそめた。

「一級? トップはCFPじゃないのか?」

「ぎのーしは国家資格。CFPのほうは民間資格。めんどいよな」

「まったくだ」

「で、護孝。とりあえず、社内のみ適用する保険まででいいよな?」

 ほ、保険作っちゃうの。
 私びっくり。
 おじいちゃん先生、あんぐりしすぎてアゴが外れそう。

 私にきづいた二人がニッと笑いかけてくれた。

「ひかるちゃん、君の亭主は妊婦にとって最強の味方だ。希望を伝えれば、大抵のことは叶えてくれる」

 慎吾さんが護孝さんの太鼓判を押してくれると、旦那様も親友殿を押し返す。

「俺にはモンスター・シンゴってランプの精がいるからな。こいつも『恋人が路頭に迷ってたら』て思うと、困っている女性にはなんでもしてあげたくなるらしい」 

 二人とも最高すぎる件。
 慎吾さんが会議のため立ち去り、お医者様は「なにかあったらナースコールをするように」と言い置いて逃亡じゃなかった、退散し。

 二人きりになると護孝さんがベッドの傍に座って、頭を撫でてくれた。

「ひかるは気にしなくていい。たっぷり寝れるように、なるべく栄養をとれるようにと、願ってくれること。それから俺をコキ使うことだけに専念してくれ」

 笑ってしまった。

「護孝さんをコキ使うの?」

 吐きすぎて、口から栄養が摂れない。
 逆説的だけれど『きちんと食べなくちゃ』とプレッシャーになっていた。
「願うだけでいい」と言われて、気持ちが楽になる。

「そうしてくれ」


 しかし、つわりが治るどころか、二十一週目には子宮頸管が短くなりすぎで即入院。

「一日でも長く赤ちゃんに子宮にいてもらうこと」
 が、私の母としての初仕事となった。

 先生や看護士さんからの説明が終わると、四人部屋にぽつんと一人。

 涙が後から後からこぼれおちる。
 そろそろ退院出来るかと期待していた分、ショックは大きい。

 ――なんで私だけ?
 身籠った喜びを夫や家族とわかちあって、子供と対面するまでの日々を楽しく暮らしたいだけなのに。

 また護孝さんと離れ離れなことが寂しい。

 しょんぼりしていたら、転院することになった。
 転院先はエスタークホテルの旗艦ビルに近い。

 なんと特別室を借りてくれて、そこに毎日護孝さんが出勤してくれることになった。

「どうしたの」

 嬉しいけれど、お金の心配をしちゃうのは私が庶民だからです。

「慎吾が」

 愛しの旦那様が肩をすくめて言うには、親友様から『嫁の隣で在宅ワークをしろ』と命じられたという。

 さらには、『栄養士でも看護士でも、ひかるちゃんが望むだけ雇え。経費で落とす』と言われたらしい。

「慎吾さんて、我が家の守護神みたい」
「あいつ、ほんとに漢前」

 護孝さんの目も潤んでる。

 旦那様は一応自腹を申し出たそうだが、見事に断られたらしい。
 曰く

『せっかく最高のリモートワークだ。護孝に成果として、パフォーマンスピーク時の二倍を要求する。護孝担当分の売上向上した時に俺に払うボーナスや特別手当は不要。ただし! 里穂が見つかったときは俺を休ませろ』と言われて交渉成立したらしい。
 
 慎吾さん、里穂さんが見つかって幸せになれるといいな。

「モンスター・シンゴもなかなかいい奴だ。しかし、ひかるっていう唯一無二の妖精のためなら、俺は結構働きものだぞ?」

 護孝さんに頭にキスしてもらって幸せな気分になった。


 私の妊婦生活はほぼベッドのうえだったから、正直毎日護孝さんの顔を見れるのは嬉しかった。
 
 彼は恋人や夫、父親であるほかにビジネスマンとしての顔も見せてくれた。

 ……どうも保険の認可が降りるまでは別企画――看護士資格を持つスタッフが常駐する、高級ホテルか病院か区別つかないほどの設備――の実現化に向けて燃えているらしい。

「おいおい、護孝。こんなに穴のない素敵な計画だと、また儲かっちゃうぞ」

 これは私への見舞いより、護孝さんとのミーティングに来てくれた慎吾さんの言。

 護孝さんの企画があたることを、独特の言い方で表現した。

「儲かるのはやぶさかではないが、税務署が面倒だな。脱税するわけにいかないし、うちの財務にひと働きしてもらうしかないな」

 護孝さんも言う。
 そして護孝さんは特部室に小さな盆栽を持ち込んできた。

「さて、ひかるはこの難問をどう解く?」

 まるで探偵の迷推理を促す警部のような口ぶりだ。
 病院の近くに小さな神社さんがあり、露天商から一番情けなくて惨めな子を買い付けたんだという。

 病気も進んでるし、形も大胆に切り取って整えてやらなければならないが、救う手だてはある。きっとある。

「ところが、ひかるはベッドから降りられない」

 ……そうだった。
 主治医の先生からはトイレも体を清潔にするのもベッドの上でと言い渡されている。

「じゃあ、サイドテーブルに……」

 言いかけたけど、護孝さんはニコニコするだけで動いてくれない。
 彼の求めている正解ではないらしい。

「ひかる師匠と護孝弟子による共同作業だ」

 これは大変!
 ……と思ったのを即座に見抜かれたらしい。
 護孝さんの眉がくい、と上がった。

「心外だな。師匠は弟子の技量を信じるものだぞ」

 それとこれとは違う。

「護孝さん。貴方は、外科手術をしなければ死んでしまう患者を委ねられた、素人です」

 看護士ですらない、と私が言い切ったことで護孝さんの表情があらたまった。

 ……私のバカ。
 護孝さんが私の仕事に興味をもってくれ、辛いベッド上の生活を楽しいものにしてやろうと考えてくれただけなのに。

 素人さんで病に冒されている子を買い取っては是正処置を施す方がいる。
 その方の行動は決して悪いものじゃない。

 しかし、私はプロだ。
 美を施す術と樹木を活かす術は違うと思っている。
 美を追求するとき、私は樹木を切り捨てることだってある。

 ……この子は、どこかの庭師である『私』から既にに捨てられた子だ。
 この子は再生するには、盆栽師と樹木医どちらも技の最上を必要とする。

「こうしよう。俺は潰れかけの旅館を一つ、ひかるに預ける。是正措置を考えておいて」

 わかってくれた。
 おまけに二人の負担を平等にするため、護孝さんに過分を背負わせてしまった。

「ごめんなさい」

 歪んだ私の顔を撫でたあと、キスしてくれた。

「お互いワークホリックで、趣味イコール仕事だとこうなるって証拠だな。医師や看護士には伝えておく。無理はするなよ」

 そうして私は旅館の再生計画、護孝さんは盆栽の救命活動にいそしむことになった。

 ……畑違いのことをするのがこんなに大変とは。
 私が見逃せば、二人で楽しく盆栽を出来たのに。

「悪い、俺がひかるの仕事を舐めすぎていたな」

 護孝さんがポツリと言った。

「特に貴女がた父子の技は神に近い領域なのに」

「私も、こんな何万人も路頭に迷いかねないことを采配している護孝さんと。貴方の考えの具現化に動かれる慎吾さん。お二人はとんでもない方達なのだと、再発見しました」

 お互いに惚れ直したってことで『夫婦喧嘩』は終了でいいかな、と護孝さんが提案してくれる。

 ふふ、と互いの健闘を讃えあった。『敗者』から『勝者』へ、立場を変えては賞賛のキスを贈りあう。

 盆栽は辛くも生き延び、旅館は大ナタを振るうことになり。

 妊娠三十週目、私は護孝さんの子供を出産した。
 早産である。
 正期産とは妊娠三十七週ゼロ日から妊娠四十一週六日までの出産のことを言う。

「上出来だ、ひかる」

 麻酔が解けたあと、簡易防染服を着た護孝さんがベッド脇に腰掛け、私の手を握りこんでくれていた。

「男の子だよ」

 そっか。

「……体重は?」 
「一三六〇グラム」

 ニキロにも満たないのか。
 心臓がぎゅうと絞られるように痛い。

 赤ちゃんは、私達のたった一人の息子は、長期間の新生児医療(新生児集中治療室(NICU)での治療)が必要となる。

また、早く生まれた赤ちゃんほど、後で重篤な障害が出るかもしれない。
 私が息子をもっと子宮内に長くとどめてあげられたらよかったのに。

「ごめんね……!」
「大丈夫だ」

 護孝さんが私を力強く抱きしめてくれた。

「十七年後には、一人で生まれてきたような顔をした、生意気な高校生になってる」

 それは反抗期という意味?

「勿論、鉄拳制裁をしてやるさ」

 護孝さんが黒い笑顔でニンマリ笑う。

「悪いことをするたび、恥ずかしい写真をばらまいてやる」

「…………例えば?」

 こほん、と護孝さんは咳をひとつすると一葉の写真を見せてくれた。

 父親の親指に必死に五本の指で縋っている息子。
 うん、これは恥ずかしい。
 私は嬉しくなってきた。

「他には例えば?」
「そうだな、例えば」

 保育器越しに愛おしそうな表情で息子を見つめる護孝さん。
 とっても恥ずかしいね。
 ワクワクしてきた!

「それから例えば?」

 保育器越しに息子の頭にキスする護孝さん。
 すごい恥ずかしいよ。

「例えば羨ましくて門外不出だが」

 最後に護孝さんは生まれたばかりの我が子が私のはだけた胸に乗せられている写真を見せてくれた。

 息子クンは目鼻立ちがしっかりしていて、私のおっぱいのやわらかさにウットリしているようだった。

「最っ高に恥ずかしいね!」

 多分、百万ドル以上の笑顔だったと思う。
 私もいっぱい恥ずかしい写真をとってもらうんだ。
 来るべき息子の反抗期に備えて。

 護孝さんも破顔した。

「だろう」

 それから二人で色々な名前を考えた末、我が家にきてくれた愛おしい子は『和雅』という名前になり。
 無事、区役所に私達の第一子として登録された。


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