【改訂版】CEOは溺愛妻を杜に隠してる
 隠岐の杜に出かけた。

 ひかるが職人を指示しながら、自身も被害に遭った木の処理をしている。

 樹木だけではなく、ブルドーザーで付近の土がごっそりと抉られていた。

 モノにかかった部分は大量の水で洗い流せる。しかし、土に染み込んだ硫酸を重曹と中和させるのは時間がかかる。
 一角とは聞いていたが、おおごとであったのがわかる。

 が、悲惨な状況を吹き飛ばすよう皆、陽気に働いていた。

「不幸中の幸い!」

「植樹が完璧に終わってなかったし、人や住宅地には被害出てないし!」

「そーそ、こっからこっから!」

 チームワークを深めるきっかけになったのかもしれない。

 ひかるがそっとため息をこぼしてるのを見てしまった。
 近づいていき、彼女を抱き上げた。

「もっ、護孝さんっ?」
「皆さん、お疲れ様です」

 ひかるを抱いたまま涼やかに挨拶してみせると、ヒューヒューとひやかしが入る。

「少し、彼女を借ります。差し入れを持ってきたので、召し上がってください」

 職人に声をかけると、奥まった場所へと分け入った。

「シャッチョさん、ありがとー!」
「親方を慰めてやってくれーっ」

 奥へと歩きながら、ひかるに話しかける。

「ひかる、職人達から『親方』って言われてるのか? すごいな」

 荒くれ男だらけの職人の世界で、女性が認められるのは並大抵のことではない。

「皆さん、技術のある方ばっかなのに盛り上げてくださるんですよー」

「……ちなみに、なにをして彼らを掌握した?」

 後学のために、ぜひ知りたい。

「小柴の束づくりと、松登り、ナタでここ」

 前二つは想像がつくが、後のひとつは?

「鉈で印を打ち込んだところに、楔と鉈を遠方から投げて幹を打ち倒します」

 前二つは三ツ森家に伝わる職人を黙らせる技。後の一つはひかるのオリジナル技だという。

「……凄まじいな」

 俺の未来の奥方はたおやかを装っていても勇ましい。
 浅学だから静御前を想像してしまった。
 惚れ直す。

 しかし、元気な声を装っていても顔色が悪かった。

「我慢しなくていい」

 俺の言葉に、ひかるは表情を歪めた。
 ぎゅっと俺の上着を握り締めてくる。手が震えていた。
 愛おしい。

「パーティのとき。慎吾さんが耳打ちした途端、護孝さんの顔が怖くなったから、なにかあったのがわかった」

「ああ」

「 まるで護孝さんの退場をはかったかのようなタイミングで『大変だ! 隠岐の杜庭園に硫酸かけられた!』って声があがったの」

 仕込みか。
 ホールに設置してあるカメラから人物を特定しよう。
 はした金で叔父に雇われたんだろうが、俺ではなく奴に与したこと、後悔させてやる。

 俺は内心をおくびにも出さず、優しく彼女に語りかけた。

「だが、君が抑えてくれた。いまさらにひかるが誇らしいよ」

 彼女の誠実な説明は、招待客の気持ちをほぐした。

「事件を聞いたとき、犯人に『木酸液(もくさんえき)』を飲ませてやる!って思った」

 俺の胸に顔を埋めたまま、小さな声で呟いた。

 ……木酸液は木材に熱を加えたときに抽出される蒸留液のようだ。
 勿論、薬効は認められていないし一般的なものであれば毒物ではないようだが、食用ではない。

 ひかるらしい。

「なのに……!」

 犯人の名前がわかったとき、ひかるは蒼白になった。
 大事な場所を、よりによって自分を恨む者に狙われたのだ。

「君のせいじゃない」

 ひかるの華奢な体を抱きしめた。

「むしろ俺と叔父の確執がなければ、ひかるが傷つくことはなかった」

 彼女を傷つけ一度は放逐されたクズを、俺が招き寄せた。

「俺は、自分のことを一〇〇%清廉潔白な人物とは思っていない。きっと、ひかるも同じだろう。それでも俺達は、世間に顔向け出来ないような生き方をしていない」

 悪いのは叔父とあの男だ。
 二人とも社会的に抹殺してもしたりない。

「わかってる。でも。なんで? 怖くてたまらなかった。あのバカ男に、そこまで恨まれてたなんて。どうして? 騙されたのは私のほうなのに、私が悪者みたいに……!」

 悲鳴は彼女の心の声そのものだ。

 懸念したとおり、ネットでひかるが攻撃されてしまった。
 即座にポジティブキャンペーンを展開させたものの、動画やSNSは残酷で、悪意のものほど早く広がる。

 広報チームに記事を丹念に拾わせ、弁護団を通じて名誉毀損で訴えると闘う姿勢を見せている。
 鎮静化の方向に向かっているが、ひかるを傷つけた事実はなくならない。

「私のせいだよ……」

 涙を堪えた声で彼女が呟く。 
 俺達は、ときにひかるはなにも悪くない。だが、彼女が嘆き悲しんでいるのはそんなことじゃない。

「ひかる、自分を責めるな。……大好きな樹木がひどい目に遭わされたばかりなんだ。辛くて悲しいだろう? 泣いてしまえ」

 ふえ、としゃくりあげる声が胸元からした。
 憔悴を物語るように、抱き上げた彼女はとても軽かった。

 抱いたまま切り株に腰掛けると、うわあぁ…と声を上げて泣き出した。

 ひかるの髪も服も煤塗れ、泥まみれだ。
 彼女をゆすってやり、背中を撫で何度もキスしてやった。
 今回は俺のミスだ。
 だからといって、彼女を手放す選択肢はない。

 愛おしいひかる。
 俺のせいで傷つくなら、世界から君を隠すよ。俺以外をその瞳に映すことはない。

 やがて。
 ひかるが盛大に鼻をすすりあげる。ハンカチを取り出して、彼女の顔を拭ってやった。

「セキュリティを強化する」

 ひかるの目に溜まった涙を吸い取る。

「うん」
「スプリンクラーも増やそう」

 キスをねだっているように目を閉じるから、あちこちに唇を落とす。

「……あのね」
「ん?」

「有料で、記念植樹を受け付けるのどうかなって」
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