雨は君に降り注ぐ


 母は、聞くところによると、相当な苦労人だったらしい。

 高校を卒業後、大学への進学はせず、母は早いうちから就職活動を始めた。

 母の出身校である潮崎(しおざき)高校は、都内でも有名な、いわゆる『バカ校』だった。
 偏差値は35を大きく下回り、学校自体の評判も最悪に近い。

 そんな高卒を雇ってくれる企業は当然少なく、母は結局、『ブラック企業』と呼ばれている某広告代理店に就職した。

 その職場で、母はかなりの苦労を強いられ、精神的にも肉体的にも疲れ果て、ついには過労で倒れてしまったそうだ。

 そんな中、母はクライアントである某食品会社で父と知り合い、恋に落ち、できちゃった結婚を果たし、妊娠を理由に21歳で退職した。

 母はそのまま専業主婦を続け、今までに至っていた…。



 目の前の線香の小さな火を見つめながら、私はぼんやりと考えていた。

 母が昔聞かせてくれた、思い出話。
 私がまだ小さかった頃に聞いた、母の記憶。

 ここは、お通夜の席。

 私の目の前には、母が入っているであろう棺と、遺影と、線香。

 何も感じない。
 頭の中が、ふわふわしている感じ。

 普通なら、ここで悲しむべきなのだろうか。
 泣いて泣いて、泣き叫ぶべきなのだろうか。

 私の目からは、1滴の涙もこぼれない。

 実感が無かった。

 自分が今、母の通夜に参加しているのだという、実感が。
 母が帰らぬ人になったのだという、実感が。

 何も、分からない。

 悲しいって、なんだっけ?
 死ぬって、なんだっけ?

 なんで死んだ人は、2度と、2度と戻らないんだろう?
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