エチュード〜さよなら、青い鳥〜
そんな人の群れの中、その男性はひとり、ヨレヨレのくたびれたスーツを着て背中を丸め、信号待ちをしていた。


彼の目の前を、初音とマーシャが乗ったタクシーが通り過ぎる。


コンサートの興奮冷めやらず夢見心地だった彼…四辻涼は、ぼんやりと通り過ぎるタクシーを見て、ハッと我に返った。


ーー初音…?


心配事でもあるのか、疲れているのか。影を落とした表情で車窓を見ている。初音はこちらに気づかず、行ってしまった。



涼は、一つため息をついて近くの街路樹に寄りかかる。すると、羽を休めていたのだろう。数羽の鳥が驚いたようにバタバタと飛びたった。


それはまるで幸せの青い鳥が逃げて行くような、そんな錯覚を覚えた。


貯金もまもなく底をつく。仕事は、なかなか入って来ない。短期のアルバイトなどで当座の生活費を工面していた。
次の仕事は三日後、大学病院で行われるチャリティーコンサートのスタッフの仕事だ。久しぶりの音楽に関わる仕事だった。


これが、現実。最高の音楽を届けたいなんて言って、結局、無理だった。そんな理想ばかりの無謀な夢のために、手放した物の大切さに気づいていなかった。


初音。君と過ごした時間は、全てが宝物のように愛おしく、切なく、美しい思い出だ。


今夜は最高の演奏だった。音楽の神様と共演できるほど素晴らしいピアニストになった君が、もう手の届かない存在だと、痛感した。


今は本当に、君が恋しい。


飛びたった鳥は、あっと言う間に夜の闇の中に消えた。涼は鳥が向かった暗闇を淋しい思いで見つめていた。










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