きみが空を泳ぐいつかのその日まで
気づけば街の空は西のほうから暮れようとしている。通りに並ぶお店も夜の支度を始めていて、商店街のお惣菜屋さんからは、いいにおいが漂ってきた。

力なくなったお腹がキリキリと痛んで、また軽い吐き気がした。それを誤魔化して、のろのろとショッピングモールへと向かった。

大通りに点きはじめた看板やネオンの明かりが気持ちを焦らせ、往来を行く人々の顔はなぜかみんな同じに見えてしまう。

あれと同じ本を買おう。そして毎日ホームで待ち伏せするしかない。そうすればきっと会えるはず。

ショッピングモール内の大型書店に入ると、まっすぐに検索ブースへと向かった。
書店の椅子に座ったら足元にたまっていた疲れがいっきに全身にめぐって、指先の感覚すらなくなった。

「金魚」「小学生」「相談」

あの1ページから起こせるキーワードなんてこれくらいしかない。でもすがるような気持ちでヒットしたすべてのタイトルを控えた。

なんて覇気のない字。
うなだれていたら、どこかから知っている声が聞こえた気がして、意識は自然とそっちに傾いた。

「ないって、どういうことですか?」

目線の先にいたのは、男の書店員さんと言葉を交わす制服姿の久住君だった。

「申し訳ございません。うちにはその作家の書籍はないみたいなんです。ご希望でしたら他店舗のほうでも確認してみますが」
「あったら取り寄せてください。時間がかかっても構わないんで」
「確認して参りますので少々お待ち下さい」

店員さんがバックヤードへ消えてしまったから、思いきって声をかけた。

「久住君……」

取り消してしまいたくなるほどに、間抜けでかすれた声が出た。

「あ、サボり魔」

彼は一瞬驚いた顔をしたけれど、そのあとすぐに固い場の空気をほぐすように笑ってくれた。

「こんなとこでなにやってんの? しかも制服で堂々と」
「あ、ほんとだ」

この格好で1日街をうろついて、学校に行ってないことが世間にバレバレだったんだ。

「なんか顔色悪くない? やっぱ体調崩してたんじゃ」
「ううん、全然平気だよ」
「ならいいんだけど」

久住君にじっとみつめられた恥ずかしさで、空腹も疲れも忘れてしまった。

「プリントいっぱい預かってたからちょうどよかった。なんか親の判子がいる大事そうなやつもあるし、ほら」

カバンからファイルを取り出してこっちに差し出した。

「ありがとう。でも、なんで?」

久住君とうちは近いわけじゃない。
彼の家はこの駅からすぐで、うちはここから4駅離れているのに。

「なんでって、連絡ないし心配だったからに決まってんじゃん。って何言ってんだ俺……」

思いがけない言葉にお互い顔が真っ赤になった。

「そうだ、聞きたいこともあって」

天井辺りをさまよっていた彼の視線はゆっくり私の目の高さまで移動して、なにもない空間でふたつの視線が交差した。

「聞きたいことって?」
「うん、神崎さんってさ……」

いつもより低い声に、少し身構えてしまう。

「お客様、お待たせ致しました」

戻ってきた店員さんの声で久住君の言葉のつづきはかき消され、またひとつ大事なものを見失ったような気がして、胃のあたりにそわそわする想いを抱えるしかなくなった。

「いくつかの店舗に確認して参りましたがどの店舗でも扱っておらず、あの……非常に申し上げにくいのですが、率直に申しますとそのような本は存在しておりません」
「絶版になってるってことですか?」
「おそらくは……作家名と作品名が一致するものがひとつもなくて」
「そうですか、わかりました。ありがとうございました」
「いえ、お役にたてず申し訳ありません」

久住君の不安そうに揺れる瞳を見るのは初めてだった。

「……親父のやつ、何考えてんだ」

ぽつりと、こぼすようにつぶやいた彼がすこしだけ寂しそうに見えた。
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