きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「そりゃあね、あの子の成長を見守れないってわかったときはショックだった。でもね、奪ったとか言わないで?
あのときみーちゃんが無事でいてくれて、心の底から嬉しかったんだよ。あんなにホッとしたのに、悲しいこと言わないでよ」

はぐらかしてるんだと思った。
複雑な気持ちを、はぐらかしているだけに決まってる。

「そんな簡単なわけないよ、ほんとはずっと恨んでたはず。懺悔させたくて私の前に現れたんだよ」

それなのに、いつまでも定まらない視線をみどりさんはしっかりとその眼差しで繋ぎ止めてくれた。

「恨んでなんかない。ほんとだよ。だからほら、いつまでもこんなとこにいちゃダメ」
「言ってる意味全然わかんないし、私がいていい場所なんか初めからどこにもない」

そう答えたら、みどりさんはすこし困った顔をした。

「あるよ。子供は家をいったん出たら、元気に親もとに帰らなきゃ。すごく大事なことだよ」
「そういうの、もうやめて」

優しくされるより口汚く罵られたほうがマシだった。

「あなたを助けたことを、あたしは悔やんでなんかない」

うつむいた視線の先にある薄汚れた地面のくぼみ。もういっそ、あれになってしまいたい。

「助けちゃってごめんねなんて、言いたくないし思ってないよ。むしろ誇りに思ってる」

顔を上げたらみどりさんは目尻をさげて微かに頷いた。

「でもあなたの家族を結果的に苦しめてしまったね。お姉ちゃんのこと、悪く思わないで? きっと彼女なりに一生懸命だったから」
「千絵梨が?どうして?」

涙で霞んで、みどりさんの表情がもうよくわからない。

「きっと妹の代わりになろうとしたんだよ。だから罪の意識を感じて彼と……理人といられなくなったんだと思う」

千絵梨が私を睨みつけるときの悲しげな目を思い出した。

真実を知ってしまって、妹の罪を償おうとして、彼女はずっと苦しんでいたんだろうか。

何事もなかったように振るまえなくなって、大すきな人と……久住君といられなくなって、別れたけどやっぱりすきで、どうしようもなくなったんだろうか。

すきでもない男の子とつきあって寂しさを誤魔化して、お母さんに当たり散らして。

それでバレーの推薦すら棒に振ったんだとしたら。行きたくもない学校が嫌で、荒れていたんだとしたら。

「どうしよう。千絵梨になんて言えば、私どうしたらいい?」

しどろもどろの声と一緒に、嗚咽がこぼれた。

「そうだね、んー。余計なことするな、お節介やめろ、勝手に不幸になるなって言えば?」

みどりさんはわたし達の失敗をそうやって明るく笑い飛ばしてくれた。

「ケンカすればいいんだよ、姉妹なんだから」

それはまるで宇宙の真理のような、けして揺らぐことのない絶対的な数式みたいだった。

彼女の言葉をなにひとつ取りこぼしたくなくて、握ったこぶしで涙を払った。

「あとあの優しい男の子ね、イケメンだったな」

子供みたいに無邪気に、久住君の話を聞きたがっているのが痛いくらいに伝わってきた。

「……その人を、久住君をみどりさんに会わせたかったよ」

彼の名前を口にしたら、彼女がそっと、壊れ物のようにその名を胸に仕舞ったのがわかった。

「……久住君ていうんだ? あたしが大好きだった男の子と同じ名前だね」

透き通るような白い頬を輝かせて、明るいおでこをこちらにまっすぐ向けておどけてる。

天窓からまっすぐに差し込んで部屋中を満たす陽射しのように、なぜこの人はいつも私に、惜しみない笑顔をくれるんだろう。

みどりさんにみつめ返されたら、お母さんを思い出して両手で顔を覆ってしまった。

「お母さんに、会いたい」

今、とてつもなくお母さんが恋しかった。

「わかるよ」

みどりさんはあたしでごめんね、って呟いて優しく抱きしめてくれた。

「久住君も、みどりさんに」

会いたいって。
そう、言っていたんだよ。
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