きみが空を泳ぐいつかのその日まで
そのときの彼の横顔が、じわりと時間をかけて脳裏に現れた。

それはポラロイド写真みたいに粗い画像で、ぼんやりとした線に縁取られていた。
油断したらきっとすぐに消えてしまう。

「彼は、思いやりがあって」
「なに? いきなりどうしたの?」
「少し強引で、あとさき考えてなくて、明るくて、料理が上手でそれから」
「……うん」
「生まれたばかりの弟を、すごく、かわいがってて、笑うと口のはしっこが、きゅっとあがって、片えくぼが出て背が高く、て、立ってる姿が、とても、きれいで」
「うん、うん」

わたしの不器用な言葉を、みどりさんはひとつひとつ受け取ってくれた。

「アイロンを一ヶ所だけ、忘れるクセが」
「ありがと、もういいよ。ありがとね」
「似てるの。清潔な香りまで、あなたに」

今、どうしても、私が知っている久住君のすべてを彼女に伝えたかった。それをひとかけらも残さず、彼女に渡してあげたかった。

「久住君はお母さんに、すごくすごく似てる」
「……そっか」
「優しいところは、あの小説のツグトさんに」

そう言うと、みどりさんは心から幸せそうに笑った。

「でも彼を傷つけたまま、ほったらかしにしたの、私」

くすんだ灰色の地面に黒いシミがポツポツとできて、すぐに一面の色を変えた。

「もしそのことを悔やんでるのなら、今からでもあの子を探してあげて。あの子のそばにいてあげてよ」

澄んだ瞳が、弱虫な私をすがって頼っていた。

「血の繋がりなんかなくたっていいの。パパがあの子を愛してくれてることに変わりはないから。だけど理人は今きっと、自分が独りぼっちなんだって思ってるでしょう?
そんなことないのに、そう感じてしまうことって辛いじゃない。
だからそばにいて、みーちゃんの体温をあの子にわけてあげてよ」

雨が強くなってみどりさんはもうひどく濡れてしまった。

「だからほら行って。みんな風邪ひいちゃう。風邪引いたら寝込めばいいとか言ったけど、それってやっぱしんどいよね。こないだ言ってから反省しちゃった」
「そんなことない。その言葉に、どれだけ救われたか……」

子供みたいに笑うみどりさんが大すきで、まだまだそばにいたい。

「あたしは濡れたって風邪ひいたりしないのに偉そうなことばっか言って……ほんとごめんね」

雨の雫がみどりさんの耳たぶを伝って、ピアスのうえをすべった。

「久住君を支えてあげたいのは、ほんとうは、みどりさんのはずなのに」

その姿で彼の前に現れたらいい。
私を助けてくれたときと同じように。

「何言ってんの。あの年頃の男の子にオカンがしてやれることなんて何にもないじゃん。だいたい必要とされてないし」

そう言って、みどりさんは嬉しそうに目を細めた。

「こういうときは可愛い女子が必須じゃない? だから、ね」

生きて。と声が聞こえた気がした。

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