きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「……あのさ、ありがとな」

でも口をついて出たのはそんなありきたりな言葉で、気の利いた台詞が出てこない自分にうんざりした。

「どういう意味?」
「だってあの頃さ、俺のこと、知ろうとしてくれただろ」

答えないエリを無視して喋った。

「あん時の俺の……孤独、みたいなものを」

エリの唇が何か言いかけたけど、耳には微かな息遣いが聞こえただけだった。

「自分のことみたいに悩んでくれたろ?あの頃の俺がうやむやにしたものに、正面から向きあおうとして」

当時の俺は自分のことばっかでエリのことなんか全然見えていなかった。

でも今は、彼女が涙を堪えている強い気持ちが、テレパシーみたいにこっちに伝わってくる。

そういえばエリはよく笑うし、すぐ泣く子だった。そんな彼女の無邪気で奔放な感情をがんじがらめにして、今の今まで苦しめてしまってたのは俺だ。

「あたしは……りー君から逃げただけだよ」
「違う。逃がしてくれたんだよ俺のこと」

今やっと、あの時のエリの気持ちが痛いくらいにわかる。

「ね、そっちにいっていい?」
「いや、このままでいいじゃん」

汗ですべりそうになるスマホを握り直した。

「りー君に会いたいよ」
「何言ってんの? 今会ってるし」
「そうじゃないの、そばにいきたいの」
「そういうこと言っちゃダメだろ」

俺たちの時間が重なることは、たぶんもうないって。

「だってほんとなんだもん」
「甘えんな。あれだよ、思い出は美化されがちってやつ」
「美化なんかしてない。一緒に過ごした時間は宝物だよ」
「なんだよそれ……ハズいわ」

頼むから苦しそうな顔すんな。

「ねぇ、りー君はつぼみのことどう思ってる?」
「それは……エリじゃなくて本人に伝えることだから」
「……そっか」

情けないくらい素直でごめんな。

「あの子のこと、恨んでないの?」
「なんで? むしろ感謝してるけど」
「それ、信じていい?」
「いいよ」
「あたしのことは、嫌いになった?」
「いや、全然。なんか大人っぽくなったしさ」
「それって、褒めてる?」
「もち」
「なんか、背が伸びたね」
「エリはおしゃれになったな」
「あたしりー君のこと大好きだったよ、銀色の髪の」
「俺もエリのこと大好きだった。ショートボブの」
「ほんとかなぁ」
「そこ疑う?」
「ね、黒髪似合ってるね」
「エリは俺の知らない人みたい」

アナウンスが流れてホームに入った電車が俺達をあっさり遮断して、お互いをその向こう側に見失った。

「りー君……」

不安そうな声。きっと俺を探してる。

「ほら、それに乗って帰れ。ちゃんと見送ってやるから」
「だって、なんか悲しくなってきた……」

なぁエリ。
俺も堪えるからさ。

「今は悲しくていいから、明日はきっと悲しくないから」

そこまで言ったらこっちが泣きそうになった。ヤバい、カッコ悪いところはエリには見せられない。

「だからほら、行け」

声は震えてなかったと思う。
エリは何も言わずにゆっくり車内に移動した。扉におでこをくっつけて、泣かないでこっちをずっと見てる。
窓越しのエリは、さっきよりくすんでぼんやりと見えた。

「学校サボんなよ? 謹慎くらってる俺が言っても説得力ないけどさ」
「うん。卒業だけはちゃんとしようって思ってる。今はそう思えるようになった」

その声に嘘やためらいはなかった。
発車ベルとホイッスルの音がして、電車がゆっくりと動き出す。

「俺もうガキっぽいことやめるから」
「うん」
「エリもバレーあきらめんなよ。頑張れ」

最後の一言は、自分に言い聞かせた。
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