すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。

2月、晴れ その4







「……すばるさんはそれでいいの?」
「それがいいんです」
「うちのお嫁さんは肝が据わってるな」
「お嫁さんじゃありません」
「まだね?」
「……まだです」
「僕たちに子ども(きみ)を喪えって?」
「そんな気はありませんけど」
「……それでも……僕にはできないよ」
「私がやるからな!」

ドアの外から英里紗の声が聞こえる。

「もしかの時は、私がすばるさんを殺してあげる!……ひとり減るのも、ふたり減るのも同じだもん! 清水が助かれば良いだけの話だもん! そしたらすばるさんがもれなく付いてくるもん! お得じゃん!!」
「英里紗さん……」
「莉乃が教えないなら、私が教える! へなちょこ莉乃! 私はすばるさんの味方だかんな!」
「…………どう、すばるさん。豪胆なくせに罵声がへなちょこって、ウチの奥さんかわいいと思わない?」
「……ふふ。……はい」

ぐしゃりと歪ませた顔を、莉乃は無理やりにこにこに作り替えた。



魂分けは三度とも同じ手順を踏まなければならない。

どれかひとつでも順番を違えたり、省略しては成り立たない。

三度あるのは、偶然を避けるためでもある。
途中でも引き返せるよう、間違いや軽い気持ちで魂を分け合ってしまわないよう。

それと同時に、お互いの気持ちを確認し合うためでもある。
一生を相手に捧げるということを契る。


古くからあるワーウルフの口伝を、かつて清水に教えたように。
莉乃はすばるに同じことを教える。


まずは内側の体液を混ぜる。
血液が見た目で分かりやすいので、清水がそうしたように、すばるは自分の掌を刃物で切った。
清水の腹を押さえて、傷口と傷口をぴたりと合わせる。

清水の喉が低くぐるぐると鳴っている。
目が覚めたのか、傷に響いたのか、すばるが顔を覗こうとするのと同時に、清水は身を引いてすばるの手首に噛み付いた。

「……清水さん」

ぎりと牙が食い込むが、肌を突き破るほどの強さではないから、慌てて手を引っ込めたりはしなかった。

すばるの手首を噛んだまま、喉からはっきりと低い唸り声が漏れている。

「まさかの清水君が拒否とはねぇ」
「……なんですかこれ 。え?……私フラれたんですか? もしかして」
「あ……話聞いてたね」
「私が死ぬとか死なないとかの話ですか?」

返事のように唸りが少し高くなる。

「ねぇちょっと清水君、なんの遠慮? それとも怖気付いたの?」
「今までのことは遊びで、飽きたらすばるさんを捨てる気だったんか! ママはお前を見損なったぞ!!」

すばるの手首を離すと、反論するように短く吠えた。

「……私がまた普通の人と同じように、普通に生活できるように、いつか戻してあげよう(・・・・)なんて上から目線で思ってたとかですか?」

清水からさっきまでの覇気が消え、くるりと耳が後ろへ回り、尻尾はへにょりと垂れ下がる。

「私も甘く見られたもんですねぇ……こっちはとうに覚悟ぐらいできてるってんですよ! キャッチアンドリリースですか! 雑魚だから海に返すんですか! 馬鹿にしてます?!」

ぺたりと寝た耳は叩かれるのを待っているようで、頭はゆっくりとシーツに伏せていく。

「莉乃さん!」
「はいっ?!」
「次は口の中舐めたら良いんですよね?」
「あ、う、うん。そうだね、それが手っ取り早いかな」

ベッドに乗り上がって、清水の背を跨ぐと、それはいつかの逆になったようだと、すばるは口の端を片方持ち上げる。

ぽとぽとと落ちてくる水の球が、背中の毛の上をころころと転がって、それはいつかの時と一緒だと清水の尾が少し振れる。


「毎日のようにプロポーズされて、因果な商売に足突っ込んで、あげく私は拒否られるんですね?……はぁ……ま、嫌われたんならしょうがないですけど…………すみません、英里紗さん、やっぱりご期待には添えないみたいです」
「やだやだ!! すばるさんはウチのかわい子ちゃんなんだかんな!! どこにもやらないんだかんな! くっそ! ふざけんなよバカ息子!! お前の方こそ勘当だ勘当!!」

英里紗が叫びながら、どんどんと破れる勢いでドアを叩いている。

「どうしましょうか清水さん……ホントにやめます? 嫌なら私は良いですけど、別に(・・)
「わぁ……清水君、すばるさんにここまで言わせて。途中までは男らしいとか思ってたけど、かっこ悪ぅぅ」
「さいあく!! だっさーー!!」

唸りながらぞろぞろとすばるの足の間から抜けて出ると、どうにかよろよろと起き上がって座った。

すばるも向き合って正座し、真っ直ぐに清水を見据える。
それを受けて清水も直向きな目を向ける。

「どうしますか? 私は死んでも構わない程度には清水さんが好きですよ?」

ゆっくりと前に来たので、すばるは腕を広げて清水を受け入れた。
ふっかりした首をぎゅうと抱きしめる。

顎の先まで伝ってぽとぽと落ち続けていた涙を、下から掬うように頬を舐める。

くすぐったそうにすばるが身を竦めて笑う。
そうなってやっと涙が止まった。

清水はそれを見届けて、頬を擦り合わせ、鼻先をくっ付け、口の中に舌を入れた。

「一緒にいるって誓って、すばるさん」

莉乃の言葉にすばるはにこりと笑う。

「一緒にいます。ずっとです。誓います」

しっぽがぱたりと一度振れて、ゆっくり、清水は丸くなった。
すぐにそのまま目を閉じる。



寒くないように毛布を掛けて、ひと息ついた頃、すばるはぐるぐると目眩のようなものに襲われた。

天井も床も壁も定まらず、世界が揺れている。

耳のすぐ側に心臓があるようで、身体の芯は寒いのに、肌はちりちりと熱い気がする。

自分が変わっていくのを感じる。
今までの場所を押し除けて、別の細胞が入れ替わっているイメージが頭に浮かぶ。

そうなって初めて窓の外が気になった。

「……あれ……あのナイフ。どこかにやった方がいいですよね」
「ちょ……ちょっと、ダメだよ。無理しないで。顔が真っ青だよ」
「大丈夫です……ていうか、アレがあったら大丈夫じゃないです……捨ててきます、今のうちに」
「ほんと、待ってって! どこかに放り投げられるもんでもないんだから」
「どうしたら良いんですか?」
「達川に回収させないと」
「たっつんさん?」
「今から呼ぶからね? ちょっとの辛抱だよ」
「私が持ってった方が早いです……事務所に連絡しといて下さい」

すばるはコートを着ると、窓の外にあったマフラーごとナイフを掴んで、そのまま玄関に向かう。

莉乃は止めようとしきりに声をかけていたが、その莉乃の心配がすばるにやっと分かった。

莉乃が近付けないのも、英里紗を遠避けようとしたのも、充分に。

たしかにこれは、ワーウルフだけに向けられた呪詛だ。

ここに置いて回収されるのを待つ方が辛い。嫌な感じが増す一方だった。
今ならまだ近付けるので、早いうちにどこかにやってしまいたい。存在を忘れてしまえるほど遠くへ。


すばるは下ではなく屋上に出て、事務所を目指す。

流石に血塗れの姿で公道は歩けない。
しかも上からの方が早い。


前よりも簡単に跳べる感覚に、変わってしまった力加減によろりとしながらも、真っ黒の四角い渓谷の間を跳んだ。






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