かりそめの関係でしたが、独占欲強めな彼の愛妻に指名されました
「この時間、いつも誰も来ないもん。こんな早い時間に来るのなんて、電車の人ごみを避けたい澪と、そんな澪に付き合ってる私くらいでしょ」
私たちが勤めるのはメガバンクの本部だ。十二階建ての建物の一階には営業店があり、そこでは普通に接客業務が行われているけれど、私が配属されている預金事務には直接関係はない。
営業店の窓口で受けた仕事は基本的には営業店で完結するから。
私たちに与えられる仕事は、営業部から回ってきた処理がほとんどなのだけれど、二十人近くいる営業に対して、預金事務は六人。ひとりにつき、営業三人分の顧客の処理を任せられている状態で、毎日の仕事量は少なくない。
それでも、基本的には定時の十七時半を三十分から一時間オーバーしたあたりで帰れるのだから、恵まれているのかもしれないけれど。
潤いたっぷりタイプの口紅を塗った、ぷるぷるの唇を尖らせる紗江子に笑いながらロッカーを閉める。
「わざわざ私に付き合って早く来なくてもいいのに」
「私をそんなに薄情な女だと思わないでよね。それに、私もぎゅうぎゅうな中で着替えるの嫌だし調度いいよ」
ニコッと笑顔で言った紗江子が、制服のスカーフを首元に巻く。
八時十分の建物内は静かだった。たまに、エレベーターが着いたことを知らせる電子音がかすかに聞こえる程度だ。
紗江子の言う通り、始業時間まで三十分あるこの時間帯に出勤している人は少ないのかもしれない。