拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~

18.幼馴染は背伸びをいたしまして。


「620クオーツ足す、440クオーツ足す、500クオーツ足す、560クオーツ足す……」

 お会計のメモに目を走らせ、カーラがぶつぶつと読みあげる。それを黙々と計算するベクターの真剣な横顔を、フィアナ、エリアス、マルスは固唾を呑んで見守る。

「……910クオーツ足す、330クオーツ。以上、今日の売上は?」

 ごくりと、一同に緊張が走る。かたりと木製の計算機を置いたベクターは、日々の売上を記録したノートをばばんと皆に見せた。

「8,290クオーツ!!」

「おぉっ!!」

 お客の消えたグレダの酒場に、喜びの声が響いた。

 8290クオーツ。スパイスブームが起きる前の店の平均売上を、わずかに上回る数字だ。一連の騒動が起きてからとことん売上が落ちていたことを考えると、とんでもない快挙である。

「エリアスさん!!」

「フィアナさん!!」

 ぱっと表情を輝かせて、ふたりは顔を見合わせる。どちらともなくふたりは両手を掲げると、ぱんっ、と元気にハイタッチをした。

「やりましたね、フィアナさん!!」

「はい! エリアスさんのおかげです!!」

 きゃっきゃと喜びを分かち合う二人に、両親もふむふむと頷いた。

「ほんとだね。エリアスさんが色々とアイディアをくれたから、前みたいに、純粋に料理とお酒を楽しみに来てくれるお客さんが増えているね」

「お店がにぎわっているせいか、一度離れちゃっていたお客さんも戻りはじめてくれているし……この調子でいけば、前よりも売り上げが伸びちゃうかもしれないわね」

「ええ。私もそう思います」

 にこにこと得意げに、エリアスが頷く。

「けれど、油断は禁物、ですよ? 皆さんの努力があるからこそ、お客さんがこのお店の魅力に気づき、好きになって通ってくれるんです。これからもお客さんの反応を見ながら、色々とチャレンジを続けてくださいね。私もお客さんとして、楽しみにしていますから」

「ああ、任せてくれ!」

「これからもよろしくね、エリアスさん!」

 そうなのだ。今日はエリアスの10日間休みのうち9日目であり、かつ明日は安息日でグレダの酒場もお休み。なので、こうしてエリアスがアドバイザーとしてお店に立ったりできるのも、今日が最後だったのである。

「ささ、エリアスさん、飲もう! 今日はお祝いだよ! あ、フィアナ。これだけなくさないように、二階に持っていってくれる?」

「うわぁ、いいんですか? では、かんぱーい!」

 なみなみとエールをついで、父とエリアスが乾杯を始める。フィアナはというと、ベクターに渡された売上帳簿をしまうため二階へと上がる。

 そんななか、彼らを横目に見ていたマルスが、手元にあったリュックを手に立ち上がった。

「じゃあ、おばさん。俺は帰るよ」

「え?」

 お菓子やら乾きものを棚から取り出していたカーラは、びっくりして目を丸くした。

「帰っちゃうの? お酒はアレだけど、ほかにもいろいろ用意するわよ? マルスもたくさん助けてくれたんだもの。お祝いだし、食べていきなさいよ」

「賄いで色々食わせてもらったし、腹いっぱいなんだ。それに、親父も気にしてるだろうから。早く帰って、伝えてやることにするよ」

「そう? けど、せめてフィアナが戻ってから……」

「いいよ。どうせすぐ、会えるんだし」

 残念そうに眉を下げる母に、マルスはにっと笑ってみせた。

「また昼飯食いにくるから、そのとき色々サービスしてよ。そんじゃ、また!」

 ――マルスはぽつんと、通りに立って空を見上げた。

(月がまん丸だ)

 なんだか、あいつの目ん玉みたいだなと。そんなことを思ってしまってから、ロマンチストのような思考回路に嫌気がさし、ぶんぶんと勢いよく首を振った。

 あほらしい。帰ろう。いますぐ帰ろう。苛立ちを込めて、石畳を蹴った。

 何が、月があいつの瞳みたい、だ。

 まるで、女が好きな恋愛小説に出てくる登場人物みたいじゃないか。まったくもって自分らしくない。柄じゃない。似合わない。だって。

(こんな風に落ち込む権利なんて、ないのにさ)

 ダンッと。一際強く地を蹴って、マルスは顔をしかめる。

 かつてなく、自分が大人でないことが歯がゆく感じられた。

 ただ頑張るだけじゃ意味がないのだと打ちのめされた。彼が目覚ましい成果を上げていく傍らで、何もできない自分が苛立たしかった。他人の手で笑顔になっていく幼馴染を見るのが悔しかった。そんな心の狭さがほとほと嫌になった。

 俺はガキだ。一番近くにいたのに、離れていきそうになって初めてどれだけ相手をすきだったのか気づくような、本当にどうしようもなく救いようがない――――。

「マルスー。マールースー!」

 背後から追いかけてくる微かな声に、マルスははたと気づいた。まさか、な。そう思いつつ恐る恐る振り向いた彼は、追いかけてくる幼馴染の姿を見つけてぎょっとした。

「ちょっ、おまっ!? なんで追いかけて来てるんだよ!? 女ひとりで危ないだろ、夜中だぞ!」

「マルスが帰っちゃうからだよ! なんでさっさと帰っちゃうの? ちゃんとお礼言いたかったのに!」

 ぷんすかと怒るフィアナを、マルスはぽかんと見つめる。ややあって、呆れて顔をしかめた。

「それだけ? ていうか、俺、結構しっかり走ってたんだけど。よく追いついたな、お前」

「ふふん。お忘れかもしれないけど、私、足早いんだから。マルスが本気で走って逃げたって、ちゃーんと追いついちゃうよ」

「ばーか。本気の俺さまは早いぞ。お前なんか、すぐぴゅーって小さくなっちまうんだからな」

「言ったなー? なんなら、今から競争してみる?」

 そう軽口を叩き合ったところで、ふたりは同時に吹き出した。

 ああ、そうだ。楽しそうに笑うフィアナを、こっそり盗み見ながらマルスは思う。

 かけっこや鬼ごっこなど、ありとあらゆる遊びを共にしたこと。路地裏で見つけた小さな友達に、こっそりパンとミルクを運んだこと。それが親にバレて、一緒にゲンコツをくらったこと。夕日がくれるまで遅く、子猫を拾ってくれる家を探して歩き回ったこと。

 フィアナに大事な人ができて、ふたりの距離が変わってしまっても。共に過ごした時間は、一緒に泣き、笑った時間は消えはしない。大切なものは大切なまま、心の奥に鍵をかけて、大事にしまわれるだけ。

「マルスが手伝ってくれて、すっごく頼もしかった! やっぱりマルスは、私のヒーローだよ!」

 手を差し出して、フィアナは無邪気な笑みでそう言った。

 きゅっと、胸の奥が小さく痛む。だが、その痛みに気づかなかった振りを――いや、気づいた上で目をそらして、マルスは微笑んだ。

 それから、あえてしかめっ面をして、腰に手を当ててみせた。

「俺のことはいーから。それより、こんなとこにいていいのかよ? あいつ、お前が俺を追いかけて出てったの見て、今頃親父さんにウザ絡みしながら泣いてるんじゃないか」

「そんなこと……あるかも」

 一瞬笑い飛ばそうとしてから、フィアナが苦笑する。マルスはフィアナの肩を掴んでくるりと後ろを向かせると、ぽん!と背中を押した。

「早く帰ってやれ! あいつが1番の功労者なんだ。お前が目の前で笑っているのが、1番のご褒美だろうからさ」

「そ、そんなこと……」

 照れ臭そうに言い淀んで、フィアナは小さく俯く。次に顔をあげたとき、彼女は頬をわずかに染め、ひまわりのような笑顔を浮かべていた。

「そうする! エリアスさん、喜んでくれたらいいな」

 ――手を振り駆けていく幼馴染を見送りながら、マルスは思う。

 本当だ。どんな理由であろうと、好きな人が笑っていることが嬉しい。たとえそれが、他の誰かのために浮かべられた笑顔であっても。

 ……嘘だ。今はまだ、そんな風には割り切れない。けれども自分に何度も言い聞かせていれば、いつかそう思える日がくるのかもしれない。

 それまで。その日が来るまで。

(お前のこと、好きでいてもいいよな?)

 大人を真似るのは、ちょっぴり鼻がツンと痛んだ。
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