拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~

34.突然の雨に逃げ込みまして。



 お弁当を食べ終わったあとは、そのまま芝生でのんびりと過ごしたり、少しだけ辺りを散策したりして過ごした。

 その間、前回味を占めたらしいエリアスが再びの膝枕を所望したり、近くを流れていた小川でフィアナがエリアスに不意打ちで水を掛けたりと色々あったのだが、とにかく穏やかな時間が緩やかに流れた。

 すっかり満足した二人は、ゆっくりと帰路を歩き始めた。

「楽しかったですねぇ。なんだか、街に帰るのが惜しくなってしまいます」

 バスケットを抱え、エリアスが満面の笑みで息を吐く。ちなみに、ちょっと多すぎたかと心配した中身のお弁当は、いつになく食欲旺盛となったエリアスがぱくぱくと食べたため、綺麗にすっかりなくなっていた。

 そんな彼をちろりと見上げ、フィアナは平然と答えた。

「惜しむ必要がどこにありますか。楽しかったなら2回目、3回目を作ればいいだけです。これから先、いつでもまた一緒に来れるのですから」

「フィアナさん……っ」

 少し驚いたような顔で、エリアスがフィアナを見る。なにか自分は変なことを言っただろうか。不思議に思って首を傾げていると、エリアスは春の日差しのような温かな笑みを浮かべた。

「貴女の言う通りですね。これから先、もっともっと、たくさんの思い出を積み重ねていきましょうね」

「? はい」

 何やら嬉しそうなエリアスに、ますます首を傾げながらフィアナは頷く。なんだかよく分からないが、エリアスが幸せそうなのは良い事だ。見えないしっぽをぶんぶんと振ってほわほわとほほ笑む彼は、一緒にいるフィアナの気持ちまで明るくさせる。

 と、そのとき、エリアスが何かに気づいたように瞬きをした。

「どうかしましたか?」

「いえ。ほんの少し、風の中に雨の匂いがした気が……」

 しばしエリアスは、あごに手を当てて考え込む。ややあって、彼はフィアナの手を掴んで小走りに駆けだした。

「すみません、フィアナさん。少し急ぎましょう。このあと、一雨来そうです」

 果たしてエリアスの予想は当たった。二人が走り出してほどなくして、ぽつりと小さな滴が地に落ち、そこから一気に雨となった。幸い生い茂る木立によって落ちてくる雨粒はまばらだが、サァッと水が木々を洗い流す音が緑道にこだまする。

 音を聞く限り、雨は次第に強くなっている。そして街へと続くこの道は、まだ半分ほどだ。念のためフード付きの外套を持ってきたとはいえ、雨でしっとりと重みを増した衣を身にまとって歩くのは、そこそこ疲れる。

 このまま歩き続けるのは、出来なくはないが少し体にきついな。そのようにフィアナがぼんやりと思ったとき、エリアスが木立の合間を指さした。

「っ、ありました。あそこで少し、雨宿りしていきましょう」

 エリアスが見つけたのは簡素な木造小屋だった。緑道を整備する際に使用する、簡単な資材置き場だそうだ。街と先ほどの丘を結ぶ緑道には数軒、同様の小屋が立っているらしい。彼に言われるまで全然知らなかった。

 中に入ってみると、数名分のロングブーツや外套、ほかには枯草でも入っているのかちょうどクッション代わりになりそうな麻袋がいくつかと、シャベルやバケツといった道具が雑然と置かれている。

 外の雨のせいで空気はじめじめと湿気を帯び、ところどころ雨漏りもしているが、一時的に雨をしのぐためと考考えれば屋根があるだけ十分だ。さっそく簡単に道具を動かして二人が座れるだけの場所を確保する。問題は雨に濡れてしまった服だ。

「大丈夫ですか。少し、濡れてしまいましたよね」

 心配そうにエリアスがフィアナを見下ろす。そう言う彼も、細い銀白の髪に水が滴っている。こんな時なのに、雨に濡れたエリアスの色気に一瞬どきりとしてしまう。どきどきと高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、フィアナは慌てて笑ってみせた。

「これくらい大丈夫ですよ。少しブラウスがしっとりしていますが、これぐらいなら放っておいても自然に乾きそうです」

 だが、エリアスは形のいい眉をしかめた。

「いけません。濡れた衣服を身にまとっていては、体温がどんどん奪われてしまいます。見たところ、火をおこす道具はこの小屋にありません。凍えてしまうまえに、濡れてしまった服は脱いでください」

「ぬ、ぬいっ!?」

「ちょうどいい。荷物にいれていたので、毛布は濡れずにすみました。服を脱いだら、これにくるまってください」

 慌てるフィアナをよそに、エリアスはてきぱきと自身の荷物をあさると、先ほど芝生の上に広げて座った毛布を渡してくれる。それからすくりと立ち上がると、呆気にとられるフィアナを残して小屋の扉に手を掛けた。

「着替えおわるまで外で待っています。お手数ですがノックをしていただけますか」

「けど、外はまだ雨が……」

「少しの間なら、軒下でしのげますよ」

 にこりと微笑んで、キィと音を立てて扉を開ける。そのままエリアスは、後ろ手に扉を閉めて外に出て行ってしまった。





 ぴちょん、ぴちょんと、隙間から入り込んだ水滴が落ちる音だけが、妙に大きく響く。

 脱いだブラウスを比較的乾いていた部屋の隅に干し、フィアナは毛布にくるまり、麻袋の上にちょこんと座っている。ほんの少し距離を開けて、同様に濡れてしまった上着を脱いだエリアスが、窓に視線を向けて雨の様子を窺っている。

 エリアスは寒くないのだろかと、フィアナはちらりと盗みみた。フィアナは、上半身は肌着のみとなってしまったが、乾いた毛布に包まっているおかげでぬくぬくと温かい。一方のエリアスは、薄いシャツと少々湿ってしまったズボンを身にまとうのみ。小屋の中にあった外套は雨漏りに濡れてしまって使えなかった。

「エリアスさん。一緒に、毛布にくるまりませんか」

 何度目かとなる呼びかけを、フィアナは繰り返す。表情はうかがえなかったが、窓の外を眺めていたエリアスの肩がぴくりと動く。ややあって、なぜだか困ったような笑みを浮かべてエリアスは振り返った。

「大丈夫ですよ。私のことは気にせず、ちゃんとそれで温まっていてくださいね」

「私は十分温まりました。それよりもエリアスさんです。髪だって濡れているし、本当は寒いんじゃないですか」

「そんなことありませんよ。フィアナさんがそばにいてくださるだけで、私の心はほっかほかのぬっくぬくです」

「そういう話をしているんじゃなくて……」

 笑顔でのらりくらりとはぐらかすエリアスに、フィアナは嘆息をする。すでにエリアスは、窓の外に視線を戻してしまっている。――彼は先ほどからこうやって、あっちこっちに顔を背けてばかりいる。まるで、フィアナを視界の外に締め出そうとするように。

 すくりと、フィアナは立ち上がった。

 エリアスがこちらを見ないのは、自分に気を遣ってだということはわかっている。けれども、そんなことを言っている場合だろうか。

 否。そんなわけがない。

「――嘘つき。体、すごく冷たいじゃないですか」

 背後から、毛布で包み込むようにしてエリアスに抱き着く。肌着を通じてひんやりとした感触がフィアナを襲うが、離れたいとは少しも思わない。それよりも、すっかり冷えてしまっている彼を、なんとかしたいという思いが強くわいた。

 やはりというか、エリアスは抵抗した。ぎょっとしたように振り返ったのち、すぐにぱっと顔を逸らすと、腕だけでぐいぐいとフィアナを引き離そうと躍起になっている。

「フィアナさん、離れて下さい。大丈夫、大丈夫ですから」

「何が大丈夫ですか。私よりずっと、エリアスさんのほうが風邪を引いたら大変なんですから。どうしてそんな強がり言うんですか!」

「どうしてって……、っ」

 エリアスが小さく息を呑む。次の瞬間、フィアナの視界はくるりと回った。え?と思った時にはすでに、フィアナは麻袋の上に背中を預ける形で寄りかかっており、上に覆いかぶさるようにしてエリアスが彼女を見下ろしていた。


「――――こういうことを、しないためですよ」

< 121 / 164 >

この作品をシェア

pagetop