拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~

55.蒼の時刻が訪れまして。



 貴女に魔法をかけましょう。そんな言葉と共にエリアスに手を引かれ、フィアナはとある部屋へと誘われる。

そこで、幾ばくかの時が経った頃。

 エリアスはソワソワしていた。それはもう、喜びと期待にきらきらと顔を輝かせて登場したフィアナを一瞬で呆れさせるほどには、ソワソワと部屋の中を歩き回っていた。

「……あの、エリアスさん? さっきも言いましたけど、私、準備できましたよ? 準備万端ですよ?」

「わかっています。わかっているんです、私の天使さま」

 目を瞑ったまま、苦悶の表情でエリアスが首を振る。半目になって見上げるフィアナをよそに、彼は悩ましげに額に手を当てて呻いた。

「早く貴女の姿を瞳に焼き付けたい。そんな渇望とは別に、私の心が問いかけるんです。ついにこの日が来てしまった、と。幾度となく脳裏に思い描いた姿を前に、私は正気を保っていられるのか、と」

「期待が重いですね、どんな想像してたんですか。……いいから目を開けてください。いつまで女の子を待たせるつもりですか」

「っ!」

 わざと拗ねてみせれば、エリアスがぐっと息を呑む。ほんの少しばかりの逡巡の後、エリアスはそろそろと瞼を開ける。

 だが、アイスブルーの瞳にフィアナの姿が映った途端、彼は成すすべもなくその場に崩れ落ちた。

「あ……、あぁ……っ、無理です……。世界一、いえ、人類史上一位の清らかさと美しさと神々しさ……! 私の穢れた心では、とても直視することができません……っ」

「そういうのいいですから。ていうか、エリアスさんの心、穢れているんです?」

「穢れてません。ピュアッピュアです」

 妙に早口に答えたエリアスに、フィアナは疑惑の目を投げかける。とはいえ、このままでは埒が明かない。溜息を吐いたフィアナは一歩を踏み出すと、未だ床に座り込んだままのエリアスの前に、見せつけるように仁王立ちをした。

「ほら。顔を上げて見てください。――着ましたよ、エリアスさんのバースデープレゼント。似合ってますか? 可愛いいですか? ちゃんと見て、答えてください?」

 その声に促されるように、エリアスがそろそろと顔を上げる。

 ――ベースになるのは、澄み渡った冬の朝霧のような白銀。控えめに、それでいて確かにきらきらと光を放つ生地は、徐々に氷が溶けだすように微かに色づき、裾に向けて薄水色へとグラデーションを描く。

 決して派手ではない。シンプルながら、妖精のような愛らしさもあるドレス。

 ひらりとした袖といい、腰に巻き付いた細いリボンといい、華奢で色白なフィアナにひどく似合う。――いや。さすがは王都一の人気デザイナーの見立て。これで似合わないわけがない、そんなデザインだ。

 けれども、それだけではなく。

(……まったく。ほとほと、自分の独占欲の強さには呆れますね)

 頭の片隅でそのように嘆息しつつ、エリアスは胸の内よりあふれ出る愛おしさに、美しい目をそっと細めた。

きらきらと輝く白銀の素地も。澄んだアイスブルーの煌めきも。その色を選んだ理由は、今更語るまでもない。

 これほどの想いを捧ぐことが、果たして彼女を幸せにするのか。時々、そのような不安が鎌首をもたげる。けれども、こうして彼女を――自分の色に染まった彼女を目の前にすれば、胸に溢れる幸福感にどろどろに酔いしれてしまう。

「似合い、ませんか?」

 エリアスが無言のままだからだろう。少しばかり不安そうに、フィアナが訊ねる。その純真な瞳に、どうか自分の醜い悦びが映りませんように。そんな風に願いながら、エリアスは壊れものを扱うような慎重さでフィアナの手を取り、口づけを落とす。

 わずかに顔を赤らめたフィアナを、エリアスは蕩けるような笑みで見上げた。

「とんでもない。綺麗ですよ、フィアナさん。世界中の、誰よりも」

「またそういう、大袈裟なことを言う」

「大袈裟なことなどありません。事実私は、今すぐ貴女を食べてしまいたい」

「た、食べっ?」

「でも、我慢します。フィアナさんのお腹もペコペコでしょうし」

 言った瞬間、タイミングよくフィアナのお腹がぐぅと鳴る。先ほどとは違った意味でフィアナは顔を真っ赤にした。エリアスはくすくすと愉快そうに笑ってから、羞恥にむくれるフィアナの背中を優しく押した。

「行きましょう、フィアナさん。美味しいディナーが、私たちを待っています」





 いつの間にか、日はすっかり傾いていた。

 晴れ渡った空の色は、紫がかった深い蒼から鮮やかな茜色への見事なグラデーション。今まさに沈もうとしている太陽が、静かな湖面に一筋の光の道を描いていた。

「綺麗ですよね。いまからの時間が、私はこの別荘で一番好きなんです」

 目を奪われて言葉を忘れるフィアナに、エリアスはにこやかに告げる。そうやって彼は、湖を一望できるテラスに用意した席へと、フィアナを誘った。

「乾杯っ」

 軽く重ねたガラスが、澄んだ音色を奏でる。優しく微笑んでから、エリアスがグラスを傾ける。星を閉じ込めたような柔らかな金色が、形のいい唇の向こうに消えていく。それをなんとなしに眺めていると、気づいたエリアスが小さく首を傾げた。

「飲まないんですか? 美味しいですよ」

「ああ、いえ」

 グラスに手を添えたまま、フィアナは少し考え込む。そうして違和感の正体に気づいた彼女は、ちょっぴり苦笑して肩を竦めた。

「これまでも、エリアスさんとごはん食べたり、お茶をしたことはありましたけど。こうして向かい合って、ちゃんとお食事するのって初めてでしたね」

 言われて初めて気づいたのだろう。二、三度瞬きをしてから、エリアスも笑みを漏らした。

「たしかに。そもそも、フィアナさんとお酒をご一緒するのも初めてですね。大丈夫です? ニースさんには、フィアナさんはなかなかイケる口と伺っていますけど」

「もちろん、酒場の娘ですから。いくらでも飲んでやりますとも」

「それは心強い。私も負けてはいられませんね」

 悪戯っぽく言ってから、エリアスが再びグラスに唇をつける。それにならってフィアナもグラスを傾けると、花に似た甘い香りにふわり包まれる。こくりと喉を鳴らし、ほっと吐息を漏らして前を見れば、幸せそうに自分を見つめるエリアスと視線が交わる。

 客と、店の娘。今はもう、それだけの関係ではないのだと。今更のように、そんなことをフィアナは強く実感をしたのだった。

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