拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~


 出てくる食事は、どれもこれもが美味しかった。

 瑞々しい野菜を生かしたアミューズに、とろりと舌触りの良いポタージュ。湖で採れた魚の香草焼きに、口の中で柔らかに蕩ける肉の赤ワイン煮込み。

 テーブルマナーには不慣れなフィアナではあるけれど、エリアスと二人であれば少しも苦ではない。一緒に舌鼓を打ち、一緒に笑って。ただただ楽しい時間が、そこにはあった。

 気が付けば時はあっという間に流れ、空にはいつしか星が瞬いている。それでも暗さを感じないのは、二人を照らすようにいくつもテラスに並べられたキャンドルのおかげ。微かに揺らめく灯は、夕日とはまた違ってロマンチックだ。

「デザートのアップルパイです」

 ことりと音を立てて、最後の皿を給仕が置いてくれる。焼いたリンゴ特有の甘い香りに、顔をぱっと輝かせるフィアナ。それに、ちょっぴり得意げにエリアスが微笑んだ。

「今夜はフィアナさんのお祝いですから。アップルパイは外せないと思いまして」

「流石です、エリアスさん。ナイス判断です」

 ぐっと親指を立ててから、フィアナはさっそくフォークを取る。さくりと生地が割れて、とろりとしたクリームがあふれ出す。それらを絡めて口に運べば、濃厚な甘さが口いっぱいに広がり、フィアナは頬を押さえて悶えた。

「はぁぁー。ものすごく幸せな誕生日ですー。来てよかったぁー」

「喜んでいただけ何よりです。しかし、本当にフィアナさんはアップルパイに目がありませんね。彼氏としては、少々嫉妬してしまうくらいに」

 くいと悪戯っぽく微笑んだエリアスに、フィアナは慌てた。これでは、自分がとんでもない食いしん坊さんのようではないか。

「ち、違いますっ。アップルパイだけじゃなくて、ドレスもお食事もこの眺めも、全部ひっくるめての素敵な誕生日お祝いですって話で!」

「大丈夫。わかっていますよ、フィアナさん。女性は時として、花を贈るより美味しいお菓子を贈ったほうが喜ぶものです」

「もう! 全然伝わってない!」

 頬を膨らませ、フィアナはぷいとそっぽを向く。くすくすとエリアスは笑い、眉を下げた。

「冗談です。怒らないで、私の天使さま。ほら見てください。湖に月が落ちて、綺麗ですよ」

 その言葉につられて、フィアナは思わずちらりと湖に視線をやる。そして、息を呑んだ。彼の言う通りだ。白くて丸い月が、静かな湖面に映り揺らめいている。

 空と湖、二つの月が輝く幻想的な風景に、フィアナは小さく吐息を漏らした。

「エリアスさんの言う通りですね。夜の湖が、一日の中で一番きれい」

「ええ。いつかフィアナさんにお見せしたいと思っていたので、ご一緒できてよかったです」

 微笑んで答えてから、エリアスはそっと湖に顔を向ける。アイスブルーの瞳が映すのは、穏やかに広がる、夜の蒼い湖。だが彼が見ているのは、それだけではない気がした。

「あの、エリアスさん」

「なんですか? 私の愛しい、天使さま」

 呼びかけに応え、エリアスがこちらを向く。澄んだ湖面に似た瞳に写るものを、――その奥にあるものを、もっと知りたい。そんな想いに突き動かされて、フィアナは問いかけた。

「エリアスさんは、この別荘でどんな風に過ごしてきたんですか?」

 突然そんなことを言い出したフィアナを、意外に思ったに違いない。きょとんと瞬きをする彼に、フィアナはぽそぽそと付け足した。

「今日、湖でエリアスさんの子供の頃の話を聞いて。そういえば、エリアスさんから昔の話を聞くことって、これまでそんなになかったなぁと思って」

「なるほど。そういうわけでしたか」

 合点が入ったように、エリアスが頷く。一拍置いて、エリアスはくすりと笑みを漏らした。

「なんだか、すごく愛を感じました」

「え?」

「相手を知りたいと言うのは、すなわち愛ですね」

 じわじわと、顔に熱が集まるのをフィアナは感じた。とはいえ自覚があっただけに、文句の一つも言うことは出来ない。

 ぷすぷすと頭から湯気を上げて黙り込むフィアナの前で、エリアスは「そうですねえ」とのんびり小首を傾げた。

「どう、というほど特別なことはしていませんよ。本を読んだり、鳥や草木を観察したり、町に遊びに行ったり。しかし、」

 一度言葉を区切って、エリアスは懐かしそうに表情を緩めた。

「ここでの時間が、特別であったことは確かです。スカイリークで過ごす間、父はこの国の宰相ではなく。母は王子の乳母ではなく。私も、なんてことのないただの子供でいられた。当たり前の家族でいられることが、私には堪らなく嬉しかった」

 だからでしょうか。呟くように言って、エリアスは再び湖に目を向けた。星の輝きを閉じ込めたような銀糸の髪が、風に吹かれてふわりと舞った。

「ここに来ると、未だに私はホッとするんです。テラスに座り、湖の風に吹かれ、本を捲る。そうやって一人過ごしていると、自分を取り戻せる気がするんです。宰相でもなんでもない、ただのひとりの私を」

 フィアナは何も言えなかった。なぜだか、このまま彼が湖に溶けていなくなってしまうのではないか。そんな突拍子のない不安が、不意に胸を満たした。

 だが、エリアスは湖から目を離すと、その瞳をまっすぐにフィアナに向ける。柔らかな視線に愛おしさを乗せ、幸せそうに微笑みかけた。

「けれども最近は、スカイリークまでくる必要がなくなってしまいました。それはほかでもありません。貴女のおかげです、私の天使さま」

「私が、ですか?」

「ええ」

 キャンドルの灯りが、優しく二人を照らす。その光の中で、エリアスが美しく頷く。

「貴女が隣にいるだけで、私は私を取り戻せる。貴女がくれる笑顔が、私の心を溶かし、熱を通わせてくれるんです」

「そんな……。大袈裟ですよ」

「大袈裟などではありません。フィアナさんだって、お分かりのはず」

 茶目っ気を混ぜてそう言って、エリアスは試すように小首を傾げた。

「貴女の前で微笑む私が、何よりもの証拠です」

 ぎゅっと胸が摑まれるような心地がして、フィアナは唇を引き結んだ。

 ――エリアスが抱え、背負っている物事の大半は、フィアナには手に負えるものではない。それどころか、推し量ることはおろか、想像することすらも出来ない。それでも傍にいたいと願ったから、二人は溝を飛び越えた。

 以来、重ねた日数はまだ、さほど多くはないけれども。楽しくて、幸せで。新たな表情や新しい一面、どんどん相手を知るほどに、愛しさが膨れ上がって。

 そんな風に思える相手を、自分もまた幸せにしている。これほど嬉しいことが、ほかにあるだろうか。

「幸せなのは、エリアスさんだけじゃないですよ」

 そう告げると、エリアスが軽く目を瞠る。まじまじと見つめられるとやはり照れくさく、フィアナは肩を竦めてちょっぴり茶化してみせる。

「まあ、正直エリアスさんには驚かされることの方が多いですし? 大分振り回されてきた気もしますけど? そういうのも全部まとめてエリアスさんですからね」

「ふふっ、そうですね。いつもすみません」

「いえいえ。ここまできたらとことん付き合います。付き合いますとも」

 この胸を満たす想いが少しでも、貴方に伝わりますように。そう願いを込めて、フィアナはとびっきりの笑顔をエリアスに向けた。

「だから、これからももっともっと、エリアスさんを教えてください。もっともっと、私のことも教えますから。誕生日の、スペシャルエクストラな我儘として厳命しますっ」

 柔らかな風が湖畔を駆け抜ける中、エリアスが小さく息を呑んだ。けれどもフィアナは気づかなかった。ちょうどその時、湖から何かが水面を叩くような水音が聞こえたからだ。

「聞こえました? 今、パシャっと魚が跳ねるような音が……。もしかしてリッキー!?」

 昼間に散々手こずらされたリッキー(のぬいぐるみ)のことが頭よぎり、フィアナはがたんと椅子を揺らして立ち上がった。

 お酒が入ったことで、フィアナもふわふわしていたのかもしれない。リッキーの惚けたフェイスが、湖からこちらを眺めているんじゃないか。普段であれば絶対思いつきもしなかった予想を胸に、フィアナはテラスの柵に身を乗り出した。

「エリアスさん、エリアスさん! きっとリッキーですよ、リッキーが湖から……っ」

 トンっと、背中に何かが触れる。そのままフィアナはエリアスに背後から抱きしめられた。

「エリアスさん?」

 どぎまぎしつつ名前を呼べば、フィアナを捕える腕の力が増す。夜風にあたって、少し冷えていたからだろうか。ドレスの薄い生地の向こうで、彼の熱い鼓動を感じた気がした。

「エリアスさん、あの?」

「こっちを向いて」

「え?」

 何も考えずにそちらを向いた途端、エリアスに唇を塞がれた。温かく、それでいて優しく触れるだけの、穏やかなキス。ちゅっと音を立てて離れたエリアスは、ぱちくりと瞬きをするフィアナの顔を覗き込み――つん、とその胸元を指で突いた。

「これで仕上げです。――最後の魔法をかけましょう」

「魔法?」

 自身の胸元に触れたフィアナは、指先に触れたひやりとした感触に目を丸くする。慌てて確かめた彼女は、目に入ったキラリと輝くそれに息を呑んだ。

「これって……!」

「私の想い。そして願いのすべてです、私の天使さま」

 フィアナの首筋を辿り――細い革紐で、いつの間にか首から下げられていた華奢な指輪に、エリアスは触れる。愛おしむようにそれに口付けてから、彼はその場に静かに跪く。そして、びっくりして固まったままのフィアナを見上げた。

「『私には貴女しかいません』。その想いは、胸から決して消えることはない。最初から、私の決意は固まっていたんです」

 それは、一輪の薔薇の花言葉。かつて教えてもらったそれを思い出すと同時に、フィアナは気づいた。彼がくれた指輪の宝石は、まるで薔薇の花びらのようなカットが施されている。

 導くように、そっと背中を促すように。エリアスがフィアナの手を優しく包み込む。そうして彼は、アイスブルーの瞳でフィアナをまっすぐに射抜いた。



「明日も明後日も、――潰えるその最期の瞬間まで、私は貴女と生きたい。お願いです、フィアナさん。私の、お嫁さんになってくれませんか?」

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