拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~

62.『氷の宰相』が君臨しまして。




「助かりました。助かりましたよ、大変に」

ギルベール家の屋敷の二階奥、書庫兼、趣味部屋としてギルベール儀典長が休日には好んで篭る書斎にて。目の前でにこにこと書類を受け取るエリアスを、ギルベール儀典長は胡散臭そうに眺めた。

にこやかにほほ笑んだまま、エリアスはぱらぱらと書類の端を手で遊ぶ。

「せっかくのお休みに、ご自宅までおしかけてしまって申し訳ありません。先日受け取った時点で、サイン漏れに気付ければよかったのですが。まったく私としたことが。うっかりしていて、面目ありません」

「いえ……。サインが漏れたのは、まあ、私ですし」

 尚も胡散臭げにエリアスに視線をやりつつ、言葉だけはそのように返す。

――ちなみに。誓って言うが、「サイン漏れがあった」として彼が持ってきた書類は、ギルベールの署名がなくとも通過する。加えて、わざわざ休暇中の者を訪ねて対応しなければならないほど、急ぎの案件でもない。

で、あれば。エリアス・ルーヴェルトが、何を狙ってここを訪ねてきたのか。その理由は、わざわざ考えるまでもないだろう。

「閣下は、以前より時間に余裕が生まれたようですな」

 暗に「あんた、忙しいんじゃなかったのか」と軽く皮肉を含ませてみるが、エリアスに動じた様子はない。それどころか彼は、いっそ清々しいまでに肩を竦めてみせた。

「何を優先するか軸が明白なら、自ずと道筋が見えるものです。時間と言うのはね、儀典長。委ねるものではなく、作るものですよ」

「つまり本日優先すべきは、その議案を通すことであったと?」

「もちろんですとも。儀典室の文官が魂を込めて纏めた、良き議案ではありませんか。サインひとつが欠けただけで、あと3日も眠らせてしまうのはあまりに不憫です」

 いけしゃあしゃあとそんなことを言って、エリアスはするりと立ち上がる。彼のために扉を開けてやりながら、ギルベールはやや迷ってから、こう続けた。

「今日はいい天気ですな」

「ええ。見事な青空です。暑すぎず、風が気持ちいい」

「実は、数日前からコスモスが徐々に咲き始めていまして。良かったら庭をご覧になっていかれませんか? 孫娘が友人を招いて茶会を開いているので、騒がしいかもしれませんが」

 それを聞いて、形の良い薄い唇がゆるやかに弧を描く。

 ギルベールはやれやれと天を仰ぎたくなった。まあ、いい。このお節介は彼女のためだ。昼過ぎ、孫娘のサラに庭に連れていかれる途中で鉢合わせ、数か月前の出来事を慌てながら詫びてきた、律義で素直な彼女のための。

「それは、ぜひ。お言葉に甘えて、拝見させていただきましょう」

 足を止めて振り返ったエリアスは、そのように大きく頷いた。






「失礼。お邪魔いたします、お嬢様方」

 ギルベール儀典長に連れられて現れたエリアスが、そうにこやかに口火を切った瞬間。秋の始まりの柔らかな日差しが降り注ぐギルベール邸の庭に、文字通り悲鳴が響いた。

「きゃ、きゃあぁぁぁあぁぁあっ!?!?」

「ほんもの、ほんもの~っ!!」

「推しカプが!! 推しカプが目の前に!?!?」

「こ、こら、君たち! サラ! 目を回してないで、皆を落ち着かせて……。ああ、まったく。申し訳ありません、閣下。彼女たちには、閣下の登場は少々刺激が強かったようで」

「いえ。どうぞ気になさらず。お嬢様方の密やかな集いを、無粋にも荒らしてしまったのは私の方ですので」

 少女たちの反応をある程度予想していたらしく、エリアスは涼やかに微笑む。それをもろに見てしまったルーナが、「氷の宰相の……薄氷の微笑み……」と呟いてぱたりと倒れる。なんとまあ、もうめちゃくちゃだ。

 歓喜にむせんだり、意識を手放したり。ある意味で阿鼻叫喚の様相を帯びてきた茶会の最奥で、皆とは違った意味で困惑する少女がひとり。言わずもがな、フィアナである。

(なんでエリアスさんが、なんでエリアスさんがーっ!? 私、来ちゃダメっていったよね!? ていうか、エリアスさん、今日一日仕事だよね!? 何してんの!?)

 最奥で固まったまま目だけは爛々とエリアスを睨み、フィアナはそのように大混乱に陥る。その間に、まっさきに正気に戻したらしいサラが立ち上がって膝を折る。

「失礼いたしました。本日の会を主催しております、サラ・ギルベールです。お久しぶりですわ、ルーヴェルト様。本日お会いできて本当に、ほんっっっとうに、光栄ですわ……!」

「お久しぶりです、サラさん。お元気そうでなによりです」

 フィアナに聞くまで忘れていたことなどおくびにも出さず、エリアスはさらりと答える。頬を紅潮させたサラは、何やらちらちらとフィアナを見ながらエリアスを見上げる

「それで。本日こちらに足を運んでいただけたのは、やはりフィアナがご心配で……?」

「いえいえ、心配などとんでもない。たまたま、儀典長に急ぎ確認が必要なことがありまして。お休み中を邪魔するのは心苦しかったのですが、止むを得ず足を運んだ次第です」

(嘘だ)

(嘘つき)

 フィアナとギルベール儀典長が、内心で同時に突っ込みをいれる。だが、半目になって呆れる二人の視線をものともせず、エリアスはサラから奥にいるフィアナをついと見据えた。

「ですが、本日こちらに来れたのは私にとっても幸福でした。天の神が導いてくださったのか。それとも私の天使が、私をここに呼び寄せたのか」

 やめて、ストップ、と必死に目で訴えかけるフィア案を華麗に無視し、エリアスはまっすぐにフィアナのもとへと足を運ぶ。ほかの少女たちの熱い視線を一身に引き受けて颯爽とフィアナの隣に立った彼は、あろうことかフィアナの額に口付けを落とした。

「やっと会えましたね、私の天使さま。今日もとても、可愛らしいですね」

 比喩でもなんでもなく、ギルベール邸の庭に二度目の悲鳴の大合唱が響く。『氷の宰相と春のエンジェル』の愛読者たちが次々に胸を押さえて倒れるなか、憎らしいほど美しい笑みを浮かべるエリアスを睨み、フィアナはそっと囁く。

「どうしてきたんですか?」

「貴女が心配でした。あと、おめかしフィアナさんを愛でたくて」

「頑張っておいでって、言ってくれたのに」

「それについてはすみません。どうやら、心配は無用でしたね」

 ひそひとと返しながら、アイスブルーの瞳で優しくフィアナを覗き込む。その温かな眼差しに――悔しいことに、フィアナは心のどこかで、安心を覚えてしまうのを感じた。

 大丈夫だ、なんとかなる。そう言い聞かせて今日の会に参加したフィアナだが、やはり緊張していたのだ。サラたちに明るく迎え入れてもらい、これまでも楽しく時間を過ごしてきたつもりだが、エリアスと会えたことでようやく肩の力が抜けた気がする。

 小さく笑ってから、フィアナは仕方ないなと小首を傾げた。

「いえ。心配してくれて、ありがとうございます。けど、これ以上の干渉はダメですよ。せっかく、皆さんと仲良くなれそうなんです」

「わかりました。お邪魔虫は、早々に退散いたします」

 くすくすと笑って、エリアスが身を引く。だが、途中で何かを思いついたようにぴたりと動きを止めると、フィアナだけに見えるように悪戯っぽく微笑んだ。

「せっかくなので、最後に援護射撃をしてから戻ります。うまく利用してくださいね」

 それは一体、どういう意味だ。

 不穏な空気を敏感に察して、フィアナはエリアスを引き留めようとする。だが、一瞬早く体を起こしたエリアスは、ようやく立ち直りかけている少女たちに振り返った。

「皆さん、私の宝モノと仲良くしてくださり、ありがとうございます。これからもどうぞ、末永くお願いいたします。……ね?」

 お誂え向きにちょうど吹き抜けた風に美しい銀髪を揺らし、人差し指を唇に添えたエリアスが片目を瞑る。それはまさしく、氷の宰相―――と一般には言われていた――エリアスの雪解けともいえる意外な表情で、せっかく正気に戻りかけていた少女たちに軒並み深いダメージを負わせた。

「つ、強い……。公式の供給が、強すぎる……っ」

「これは夢? 私の脳が生んだ、幸せな妄想……?」

「私、書かなきゃ。続き、そう。ハッピーエンドの、その続きを……!」

「おっと。やりすぎました」

 息も絶え絶えの少女たちに、エリアスがぺろりと赤い舌を出す。もはや収拾がつかなくなったこの状況にフィアナが唖然としていると、エリアスにぽんと肩を叩かれた。

「それではフィアナさん、また夜に。私も、もう一息お仕事頑張ってきます」

 涼しい表情でそんなことを言って、エリアスは上機嫌に、ギルベール儀典長と一緒に歩き去って行ってしまう。残されるこちらの身にもなってほしい。一体全体、ここからどうやって場を治めればいいというのだ。

 そのように頭を抱えそうになったとき、サラにぱっと手を掴まれた。

「素敵だわ。やっぱり二人は、小説の外でもベストカップルだわ!」

 感激に瞳を潤ませるサラの後ろで、ほかの面々もうっとりと宙を見つめている。

「本当に、いいものを見せていただきましたわ……」

「あー、たまんない! 私、帰ったらまた、『氷の宰相と春のエンジェル』を頭から読み直そう!」

「わ、私、続きを書きます。新しい物語が、頭に降りてきたんです……っ」

「フィアナ!」

 目を白黒させるフィアナの手をしっかと握り込んだまま、サラが瞳をきらきらと輝かせて詰め寄った。

「私! これからもずっとずっと、全力でふたりを推すからね!」

「推す……?」

 何かの隠語だろうか。言っている意味はわからないが、好意的であることはわかる。おそらく応援するとか、そんなニュアンスであろう。

 苦笑をして、フィアナはサラの手を握り返す。応援してくれるのは嬉しい。味方が増えるのは幸せだ。だけど、その前に。

「まずは、その。仲良く、してくれると嬉しいです」

「仲良くって? 誰と?」

「ですから、私と」

「んん? フィアナと仲良く、ってこと?」

不思議そうに問い返すサラに、フィアナはこくりと頷き返す。きょとんと目を丸くしたサラは、一瞬遅れて小さく吹き出した。

「やだわ、改まって。当たり前でしょ? みんな、あなたと仲良くなりたくて、今日ここに集まったのだわ」

 あっけらかんと笑うサラの後ろで、ルーナたちも次々に同意の声を上げる。

 それでようやく、グレダの酒場で皆に向けるのと同じ笑みを、フィアナは浮かべることが出来たのだった。
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