人気声優が激甘ボイスを囁くのは私だけ。
Scene01
今日も20分前にスタジオについた。忙しなく廊下を行き交うスタッフの方々に挨拶をしつつ間を縫うように進んでいく。
『スタジオB』とプレートの下がった部屋の隣、手書きの文字で『出演者様 控え室』と書かれたコピー紙が貼り付けてある部屋に軽くノックをして入る。本来ノックをする必要はないのだが部屋の先にいるのは全員年上の先輩ばかりと思うとこうやって毎回ノックをしてしまう。
「おはようございます」
そう声を出すと、部屋にいた全員の視線が私に集まった。会話が止み、めくられていた台本のペーパーノイズも消える。
「おっはよー!あすかちゃん」
その静寂を破ったのは、ドアにほど近い椅子に腰掛けた背の高い女性だった。
風谷美月さん。私の所属する事務所、『SHINEエンターテイメント』の先輩で、今をときめく超人気声優だ。彼女の成人した女性にしては少し低めの声が防音壁に吸い込まれていく。
「おはようございます、美月さん」
「うんうん、今日も相変わらずかわいいね、あすかちゃんは」
美月さんは持っていた台本で私の頭をぽんほんと軽く叩いた。昨日配られたばかりなのに紙にハリがないのは、夜通し読み込んできたからなのだろう。
「美月、大切な台本を雑に扱わないでよ。あんた、あすかちゃんと同じ事務所でしょ?後輩が真似したらどうすんの」
「なに言ってんの、桜。あすかちゃんが真似するわけないでしょー、こーんなにおりこうなんだから」
「ま、そうよね」
美月さんの台本が、奥から現れたシンプルなシャツとパンツというボーイッシュな出で立ちの女性の手に渡る。
神村桜さん。有名声優が数多く所属し、声優業界で大きな権力を持つ『ボイスアーツ』に身を置いていて、小さい頃から子役として活動しているベテラン声優だ。
「あすかちゃん、今日、喉大丈夫?乾燥してない?」
桜さんが私の顔を覗き込みながらおっしゃった。私は首を傾げる。
「いえ、大丈夫だとは思いますけど………。でも一応、アメ舐めて、なにか飲み物飲んできます」
そう言うと、私は楽屋を抜けて、スタジオの入り口近くの自動販売機へと走った。紙コップにドリンクが注がれるタイプの機械にお金を投入し、液晶パネルのカウントをぼうっと見ながら飲み物が出来上がるのを待つ。
やがてパネルが0の数字を示し、ドリンクの受け取り口がゆっくりと開いた。手を伸ばし、コップを掴もうとした、そのときだった。
「ごちになりまーす」
にゅっと白い腕が横から伸びてきて、レモンティーが注がれたコップを奪っていった。
「えっ?」
いきなりのできごとに、脳がついていかない。白い腕の持ち主はコップに口をつけると、私に見せつけるように一気にお茶を飲み干した。
「あっ…」
「なーに悲しそうな顔してんすか。犬みたいにマヌケに見えますよ?」
大きな瞳を細めて、その人は笑う。いたずらっ子のような幼くて愛らしい笑顔に一瞬目を奪われる。
「あぁ、もう。分かりました。俺が奢ってあげますから。そのマヌケ面やめてください。なにがいいんですか?」
「レモンティー…」
「レモンティーですね、了解です」
少し身をかがめて、その人は100円玉を投入する。販売機の1番上のボタンを軽々と押すと、彼はこちらを向いてにこっと笑顔を見せた。
城野天………世間的には超大型イケメン新人声優、しかし実際には生意気でいじわるな私より1つ下の後輩は、出来上がった飲み物を私の身長だと届かない高さまで持ち上げるとこう言った。
「ここまで手が届いたら、これあげますよ」

アニメ『グリムアップル』は、童話の世界をモチーフにした冒険ストーリーだ。原作はライトノベルで、豪華なキャスト陣や綺麗な絵で有名なアニメ会社が作画を担当すること、2クールに渡って放送されることなどから放送前から期待度が高い作品である。
そのアニメの主人公・モカ役に私はオーディションにより選ばれた。声優の世界に身を置いて2年目、初めて選ばれたメインキャスト。これで爪痕を残せば、徐々にお仕事をさせてもらえる機会が増えていくかもしれない。そういうわけで私は、このアニメにすごく情熱を注いでいた。
マイクスタンドへ向かうと、ほどなくして音響監督さんのGOの合図が出た。テレビに映る、黒い線のみで描かれたアニメが動き出す。秒数カウントが数字を重ねていく。私は息を吸い込む。
「『カナト、町が見えてきたよ!』」
私の声が、モカのものとなってマイクに届く。それに反応して、隣にいるカナト役の天くんが口を開いた。
「『うるさい。そこまで大きな声で言わなくても、ちゃんと聞こえてる』」
「『あははっ、モカちゃんとカナトくん、まーたケンカしてる〜』」
「『喧嘩するほど仲がいい、ってことなんでしょう』」
続いて聞こえる、美月さんと桜さんの声。美月さんは幼くて元気な男の子・ルカに、桜さんは大人の色気漂う女性・ユーリとなって言葉を紡ぐ。
「「『仲良くないし!!』」」
私とカナトは声を揃えてそう言う。そんな私たちが面白いというようにユーリはくすくすと笑うと、話題を変えるように
「『さて………この町で、新しい仲間探しを頑張らないといけませんね』」
と言った。私たち3人はその言葉に同意してうんうんと頷く。
『グリムアップル』で主軸となるキャラクターは6人。この6人でチームを組み、旅をしている。私、天くん、美月さん、桜さんはそのメンバーの内の1人だ。他の2人は今収録している話の数話後から登場する。今からモカたちが訪れる町に住むキャラクターなのだ。
「『カナトが怖くて、仲間なんてできないと思うけどなー』」
煽るように私はカナトに言う。カナトは苛立ちをあらわにする。
「『はぁ!?おいモカ…今、なんて言った?』」
「………カット!はい、ちょっとストップ」
音監さんが、収録を止めた。ぴりっとした空気が流れる。
「あすかちゃん」
「は、はいっ」
名前を呼ばれて、心拍数が跳ね上がる。台本をぎゅっと握りしめ、私は音監さんを見つめる。
「カナトに軽口叩くとこ、もうちょっとテンポよくいけないかな?まだちょっと硬いかも」
「分かりました…」
急いで赤ペンで‥台本に『テンポよく』と書き込む。それを確認すると、再び収録が再開した。ミスなく話は進み、また私とカナトくんの言い合いのシーンになる。
みんなが耳を澄ます。注目されている。
……………緊張、してしまう。
「『カナトが怖くて、仲』」
「ちょっとすいません」
横で、ひょこっと手が挙がった。視線が彼に―――天くんに、集まる。
「どうしたの?」
「俺、お腹いたくなっちゃって……すいません、ちょっと出ていいですか?」
手でお腹をさすりながら彼は言う。スタッフさん、特に女性のスタッフさんは心配そうに天くんを見る。
「大丈夫?」
天くんのマネージャーが慌てたように天くんに駆け寄る。天くんはそれに弱々しい笑みを返す。
「あぁ。………でも、一応。あすかさん、ついてきてもらえますか?どこかでぶっ倒れるかもしれないので」
「えっ?あ…うん」
なんで私が、と疑問を抱きながら私は天くんに付き添ってスタジオから出て、隣の出演者控え室に入る。
「天くん大丈夫?お手洗いとか行った方が……」
こんな状況になるのは初めてでどうすればいいのか分からない。とりあえず温かい飲み物を用意しようと自販機へ走ろうとした、そのときだった。
「バカですね、お腹なんて痛くありませんよ」
天くんが、私の腕を掴んで、そう言った。
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