河童
あいにく火鉢はひとつしかない。
不本意とはいえ相手は客なので、そのすぐ側に火鉢を移動した。
五徳と鉄瓶を持ってもどったとき、河童は指先を火にあてて、興味深げに部屋を見回していた。
「何もないでしょう?」
謙遜でもなくそういうと、河童は相変わらずきょろきょろしながらうなずいた。
「電話はないのですか?」
「使うの?」
「いえ」
「うちにはありません」
あくびをしながら新聞を開いた。
年の瀬であるので、一年を振り返る記事が多い。
「ご不在かと思いました」
時計を見ながら河童は言った。
「寝てました」
「こんな時間まで?」
「昨夜、遅くまで仕事をしていたので」
「お仕事?」
私は卓子の下から、原稿用紙を出してみせた。
「雑誌に載せる寸評です」
河童は首を伸ばして原稿用紙に見入る。
「『賞味すべし、カスタァド饅頭』」
「寸評とは言うけれど、実質広告なので」
河童は胡散臭そうに顔を歪めた。
「人間、生きる糧を得るのは大変なんです。この仕事だって、雑誌編集をしている友人がもぎ取ってくれた、貴重なものなんですよ」
「お仕事が順調なのは良いことです」
「他に英語の臨時講師もしているので、なんとかやってます」
昨夜溜め込んだ吸殻に、もうひとつねじ込んで、私は急須に湯を注いだ。
湯気は上がったが、まだ早かったかもしれない。
そのせいか、そもそも茶葉が少ないのか、注いだ茶は無色に近かった。
「うすいですが、よかったら」
「いただきます」
唯一の湯飲みを差し出してしまったので、私は茶碗に注いで飲んだ。
ぬるい白湯だった。
しかし河童はゆっくりとひと口飲み、おいしそうにため息をついた。
私が新聞を読みすすめる間、河童はじっと私を待っていた。
あまりに見つめられるので、内容はほとんど頭に入ってこない。
ひと通り読み終えても、なんとなく都合が悪く、しばらく読んでいる素振りをつづけていると、微かに音がした。
それは本当に微かだったので、何もなければ気に留めなかっただろうが、河童があわてて腹を押さえたので、空腹なのだとわかってしまった。
私は廚に下がり、網と餅を持ってもどった。
網の上に並べられた餅を見て、河童は怪訝な顔をする。
「これ、もしかして鏡餅ですか?」
「買い物をしてないので、今はこれしかないんです」
「鏡餅は年明けまで飾っておかないといけないのでは?」
「この家には私しかいないので、今食べようが、三日後に食べようが、違いはありません」
口では否定的なことを言っているが、河童は瞳を輝かせて網の上の餅を見ていた。
「ご自分でついた餅ですか?」
「まさか。私にそんなことはできません。この家の大家さんが毎年くれるんです」
「親切な大家さんですね」
「旦那さんを亡くして一人住まいなので、男手が必要なときには駆り出されます。持ちつ持たれつ、というやつです」
不本意とはいえ相手は客なので、そのすぐ側に火鉢を移動した。
五徳と鉄瓶を持ってもどったとき、河童は指先を火にあてて、興味深げに部屋を見回していた。
「何もないでしょう?」
謙遜でもなくそういうと、河童は相変わらずきょろきょろしながらうなずいた。
「電話はないのですか?」
「使うの?」
「いえ」
「うちにはありません」
あくびをしながら新聞を開いた。
年の瀬であるので、一年を振り返る記事が多い。
「ご不在かと思いました」
時計を見ながら河童は言った。
「寝てました」
「こんな時間まで?」
「昨夜、遅くまで仕事をしていたので」
「お仕事?」
私は卓子の下から、原稿用紙を出してみせた。
「雑誌に載せる寸評です」
河童は首を伸ばして原稿用紙に見入る。
「『賞味すべし、カスタァド饅頭』」
「寸評とは言うけれど、実質広告なので」
河童は胡散臭そうに顔を歪めた。
「人間、生きる糧を得るのは大変なんです。この仕事だって、雑誌編集をしている友人がもぎ取ってくれた、貴重なものなんですよ」
「お仕事が順調なのは良いことです」
「他に英語の臨時講師もしているので、なんとかやってます」
昨夜溜め込んだ吸殻に、もうひとつねじ込んで、私は急須に湯を注いだ。
湯気は上がったが、まだ早かったかもしれない。
そのせいか、そもそも茶葉が少ないのか、注いだ茶は無色に近かった。
「うすいですが、よかったら」
「いただきます」
唯一の湯飲みを差し出してしまったので、私は茶碗に注いで飲んだ。
ぬるい白湯だった。
しかし河童はゆっくりとひと口飲み、おいしそうにため息をついた。
私が新聞を読みすすめる間、河童はじっと私を待っていた。
あまりに見つめられるので、内容はほとんど頭に入ってこない。
ひと通り読み終えても、なんとなく都合が悪く、しばらく読んでいる素振りをつづけていると、微かに音がした。
それは本当に微かだったので、何もなければ気に留めなかっただろうが、河童があわてて腹を押さえたので、空腹なのだとわかってしまった。
私は廚に下がり、網と餅を持ってもどった。
網の上に並べられた餅を見て、河童は怪訝な顔をする。
「これ、もしかして鏡餅ですか?」
「買い物をしてないので、今はこれしかないんです」
「鏡餅は年明けまで飾っておかないといけないのでは?」
「この家には私しかいないので、今食べようが、三日後に食べようが、違いはありません」
口では否定的なことを言っているが、河童は瞳を輝かせて網の上の餅を見ていた。
「ご自分でついた餅ですか?」
「まさか。私にそんなことはできません。この家の大家さんが毎年くれるんです」
「親切な大家さんですね」
「旦那さんを亡くして一人住まいなので、男手が必要なときには駆り出されます。持ちつ持たれつ、というやつです」