拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

 こんなはずじゃなかったのに、一体どこから間違ったっていうんだ?

ーー否、もういい。今更済んだことを悔やんだところで何も変わらない。

 菜々子が従兄への気持ちをどうして諦めようと思ったかは分からないし。

 色恋に疎い菜々子のことだから、もしかすると、ただ単純に、自分の本当の気持ちに気づいていないだけなのかもしれない。

 どっちにしろ、俺の傍に居ることを選んでくれた。

 今の時点では、従兄には敵わないかもしれないが、これからも傍に居れば、情だってわくだろう。

ーーいつか俺だけのことを好きになってくれるかもしれない。

 そうは思っていたが、まさかこんなに早く受け入れてもらえるとは思わなかった。

 昨夜は正直自分の耳を疑ったけれど、自分の想いが少しでも伝わったんだとしたら、こんなに悦ばしいことはない。

 まだ一月ほどしか一緒には暮らしていないが、俺が少しずつ菜々子に惹かれていったように、菜々子もそうだったのかと思うと、それだけで胸を熱くした。

ーー短い期間だったがそういうモノを築くことができたんだから、これからだって少しずつ築きあげていけばいい。

 そう思ったから、菜々子のことを自分のモノにしたというのに。

 今、俺の目の前に居るこの男は、俺から菜々子を取り上げようとしている。

 さっき俺に言った言葉に嘘偽りがないというなら、自分の娘である菜々子のことを本当に心配しているのかもしれない。

 ……が、しかし、昨日の様子を見る限り、菜々子のことを案じているというよりも、己の保身しか頭にないとしか、俺には思えなかった。

 それに加え、菜々子の存在を知り、子供の頃の咲姫に瓜二つだった菜々子の写真を見た、あの時、未だに咲姫への未練が燻り続けていた俺は、菜々子を身代わりにしようと企てたのも事実だ。

 咲姫の名前を出されてすぐに突き返せなかったのには、そういう後ろめたさがあったからだが。

ーー菜々子にこれ以上辛い想いをさせたくない。

 という気持ちのほうが大半を占めていた。

「……フンッ、そんな昔のガキの頃の話をいつまでも持ち出されては困りますね」
「けど、君が咲姫のことを姉以上に慕っていたのは確かだろう?」
「まだいいますか? 埒が明きませんね。ハッキリ言っておきますが、あんたに何を言われようと耳を貸すつもりもないし。予定通り菜々子と結婚しますので、どうぞお引取りください。菱沼、お帰りだ」
「今日のところは引き下がるが、いい返事が聞けるまで、何度でも伺うからね」
「何度ご足労頂いたところで、応じるつもりもないし、本人に会わせるつもりもないので、お好きなように」
「なら、好きにさせてもらうよ」

 伯母の夫であり菜々子の父親であるあの男が見送りの菱沼を伴いようやく部屋から出ていってから、溜息をついた俺は初めて菜々子のことを目にした日のことを思い返していた。

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