拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
遠い日の記憶

 それから少しして、菱沼さんのスマートフォンに着信があった。

 その相手は、伯父だと聞かされたばかりの道隆さんからで、さっき聞きそびれてしまった父親のことを聞かされているところだ。

 驚くことに、十五年前の春、事故に遭った父親が運ばれたのが私と同じ光石総合病院で、しかもその時に、私は道隆さんと父親に逢っているのだという。

 麗らかな春の風に煽られた桜の花びらが舞い散るなか、母に連れられて、意識不明の重体で生死を彷徨っている父親の病室を訪ねていたらしい。

 事故で意識を失っていた私が目を覚ましたとき、桜の舞い散る光景を目の当たりにして、酷く懐かしく感じたのは、きっとそのせいだったのだろう。

 道隆さんの弟と私の母は、まだ十代の頃に出逢い、いつか結婚しようと誓い合っていたのだという。

 けれども、桜小路家に次ぐ元財閥の家柄で、その時既に許嫁のいた父親との結婚は難しかったらしい。

 それでも一緒になりたいと思っていたらしい二人は、駆け落ち同然で家を出ようとしたこともあったらしいが、結局は叶わなかったらしく。

 その時既に、私のことを授かっていた母は、一人で育てる決心をしていたんだとか。

 父親は私が生まれた後になってそのことを知り、それからずっと陰ながら援助してくれていたが。

 病院で父親が息を引き取ってしばらく経った頃、父親に私たち母娘を託されていた道隆さんに、母からその援助を断る旨の手紙が届いたらしい。

 菱沼さんから見せられたあの手紙は、どうやらその時のものだったらしいのだ。

 実家の不祥事とまではいかないが、弟の家族のこともあり、道隆さんはずっと奧さんにも話してはいなかったらしく、それが勘違いの元となってしまったようだ。

 因みに、姉である伯母も、私の父親が誰であるかは結局聞けずじまいだったらしい。

 けれど今回のことで、道隆さんがご当主に全てを話したことによって、その事実が明らかになった。

 そして、道隆さんが創さんの弟である創太さんを次期当主にと推しているという、あの話は、菖蒲さんが道隆さんと遠い親類関係になることから、招いた誤解だったらしい。

 道隆さんが反対勢力であるというのも、今は亡き先代のご当主より引き継がれた、次期当主になるならどんな障壁にも打ち勝つだけの強い精神力と手腕が伴わなくてはいけない。そのためにも、若いうちから厳しく当たる者が必要だ。という理念から、道隆さんが敢えてその役を担ってくれていたからだという。

 やっぱり、元を正せば、ご当主と創さんとがお互い向き合うのを避けてきたから、今回のような誤解を招いてしまったようだ。
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