誰も悪くないのに婚約破棄された悪役令嬢は人魚王子との恋に溺れます
2、名前と接吻
あれから、聖女リカ様とは文通友達だ。それは、聖女たっての希望。正直、私としては少し距離を置きたい。だけど、彼女は私との繋がりを絶ちたくないらしい。当然、未来の国母の願いを断れるわけがない。
あぁ、これはもうネタにするしかないわね……。
私は新しい婚約者候補アトクルィタイ=モーリ=ヒポカンタス様の祝賀の舞を見ながら、思考を飛ばす。
ここは私たちの婚約のために彼らが建てた屋敷だった。毎度海から上がってくるのは大変だからと、陸での活動拠点を建てたとのこと。
見たことがない材質の白亜の屋敷。不思議な形をした彫像。用意されたソファの座り心地もふわんと初めての触感だが、すごく気持ちいい。淡い色に囲まれた応接間のような空間は落ち着かないものの、どこも綺麗だ。心が踊ってしまう。この謎の踊りを除いて。
だって、何なのよ。この踊りは⁉
彼は額に細布を巻いて、厚手のガウンのようなものを羽織っていた。それにはなぜか派手な色で『ヴェロニカ』と私の名前が書いてある。そんな格好で輝く二本の棒を中腰で振り回し、威勢の良く私の名前を叫んでいるのだ。しかも、その声は無駄に美声。
その後ろで、あの男女な派手な付き人は、死んだような顔で太鼓をボンボコ叩いている。
私との初対面を記念しての踊りらしいんだけど……人魚文化に慣れるのに、とても骨が折れそうだわ……。
そもそも、どうして私が人魚と婚約することになったかというと――
私がミハエル王太子と婚約破棄した後、聖女リカ=タチバナは、たちまち元気になった。
世界を救った聖女と、瘴気戦争でも活躍したジュエリア王国王太子ミハエル=ダイアモンドとの婚約に、世界は歓喜。三ヶ月後の結婚式に向けて、世界中がお祭りムード。
それに、私も文句はないわ。だって一年前まで、世界中に広がった瘴気で、誰もが絶望と隣合わせだったのだから。
瘴気戦争。瘴気により活発化した魔物に襲われ、多くの人が死んだ。襲われなくても、瘴気を取り込みすぎて亡くなる人も多かった。
瘴気の原因は、世界の最奥にあるという聖樹が、人間の不浄を取り込みすぎて病気になってしまったから。その病を、聖女は三日三晩聖樹に祈りを捧げることで治したのだ。その聖樹の森に向かう間、そして森の中で祈りを捧げている最中も、魔物の猛攻は激しかったという。その一連の戦いを『瘴気戦争』と呼ぶようになったの。
瘴気が晴れ、魔物も沈静化されるまで、およそ三年。三年間の鬱憤を晴らすべく、少しくらい浮かれたって誰も咎めやしない。私だってそうだ。本当なら街に下りて、何も考えず美味しいものを食べたり、笑いながら踊りまわりたい。
だけど、そうもいっていられないのが貴族令嬢。ましてや、私は宰相アントン=スーフェンの一人娘。たとえ王太子と婚約破棄したとしても、今後家督とスーフェンの血を繋ぐためにも、しっかりと嫁ぎ先で励まなければならない。それに、聖女にああ言った手前もあるしね。
しかし、
『すまない。また見合いを断られてしまった』
『そうですか……』
国王の右腕であるお父様が、肩を落としている。それに私も嘆息するしかなかった。
これで、見合いを断られるのは三十回目だった。
始めは前向きだったが、こう数を重ねられると、さすがに落ち込む。
敗因は明白。
理由その一、『元』王太子の婚約者という肩書が重すぎるとのこと。
世界一大国のジュエリア王国の王太子より、格が上の貴族はいない。ミハエル様と比べられるとして、誰もが引け目を感じてしまうという。
婚約破棄の本当の理由を知る者は、みんな同情してくれる。だけど、社交界ではいらぬ噂も立つというもの。邪推が尾を引いて、私がとんだ悪女だったとか、そんな可哀想な王太子を聖女が真実の愛で救ったとか、様々な話があがっているらしい。
ミハエル様含む国王様は、きちんと真実通り、聖女の病を公表した。それでも未だ私との婚約破棄は『不貞』なのではないか、との声もあり……それもあって、私はたちまち『重い女』となっているらしい。
理由その二、捨てられた女だから。
これは簡単。いかなる理由があろうと、元はきちんと婚約していた女が捨てられたのだ。他の男が手をつけた女を嫌だというのは、正論だろう。もちろん、貞操は正式な結婚までと守っていたのだけど……そんなことは、当の本人しかわからないこと。
理由その三。私が行き遅れた年増だから。
本来、貴族令嬢は十代のうちに結婚する。しかし、瘴気問題が始まったのが十年前。聖女が現れたのが三年前。解決したのが一年前。そんな世界規模のトラブルの渦中に、結婚式なんて挙げられるはずがない。
そうこうしているうちに、私は二十四歳。たとえ華のある真っ赤な髪が綺麗だろうと、四肢がどんなに滑らかだろうと、どれほど気品ある顔立ちをしていようと。どんなに十代の小娘にない色気があると褒められようと、行き遅れは行き遅れ。どうせ正式に貰うなら若い娘を――その願いも正論すぎて、ぐうの音も出ない。
そういうわけで、見合いに悪戦苦闘した一年。見合い失敗も三十回に到達した時、お父様は言った。
『もしヴェロニカさえ良ければ、一つ提案があるのだけど』
なんだろう、もう嫁ぐことは諦めて為政に励めとでも言うのだろうか。それとも、修道院に出家して神に仕えろと言われるのだろうか。
あまり喜ばしい提案ではないけれど、それが家を守ることに繋がるのなら――と覚悟を決めた時だった。
『海の異種族に嫁ぐのはどうだろう?』
海――その情報は、私の耳にも届いていた。
瘴気戦争が終わるまで、海は魔物が住む場所として、誰も立ち入れてはならない場所とされていた。海に入れば、魔物の歌に誘われ、食われてしまう……それは子供でも知っているおとぎ話。だけど実際は、陸の瘴気を嫌悪していた海の生物が、人間を毛嫌いしていた結果らしい。
今回、聖女のおかげで瘴気が薄まった。そのことに興味を持った海の種族が、陸の人間に接触してきたのだ。これから交流を持ってみないか、と。海の人魚は、魔法という未知の力が使える。いわば、知性ある魔物だ。そんな彼らからの提案を、無条件に拒否できるわけがない。
その架け橋にならないか、とお父様は言う。
『海の人魚という種族の王子と婚約の話がある。国王も、ヴェロニカならば……と言ってくださっているのだが、どうだろうか?』
最近発覚した異種族。これほどまでに物騒で危険な嫁ぎ先は、前代未聞。それに当然、私は武器を持ったことがない。未来の王妃として、学問やマナーの英才教育を施されただけの女。何かあった所で、自分の身を守る手段はない。ただの生き遅れた元王妃候補。
だけど、そんな私だからこそ、人間の代表としてどこに出しても恥ずかしくないという。
そして、そんな私だからこそ、何かあっても『不幸な事故』と切り捨てられるのだろう。
私の価値なんて、しょせんそんなものよね。
私は自身を鼻で笑い、
『お引き受けいたします』
誰に見せても恥ずかしくない、完璧なお辞儀を披露した。
ボンボコ響いていた太鼓の音が止む。
我に返った私が慌てて拍手をすると、達成感満載の人魚王子が期待に満ちた眼差しを向けてきていた。
うっ、可愛い。純粋無垢なキラキラした瞳が、すごく可愛い。
だから、子供のお遊戯を褒めるような感覚で声をかける。
「とても素晴らしい踊りでしたわ。それが海の伝統的な舞ですのね」
「あ、その……いや……」
だけど、なぜか王子は気まずそうに視線を逸らす。今にも泣きそうだった。
え、すごく普通のことしか言っていないわよね? お父様と顔を見合わせても、私の発言に問題はなさそう。ただ一緒に困惑するだけ。
「ご、ごめんんさいっ!」
そして王子は駆け足でこの場を立ち去ろうとした。だけど、どてんと転ぶ。それにますます顔を赤くして、今度こそどこかへ逃げて行った。
一連の流れを唖然と見守るしかなかった私たち。彼の付き人の大きなため息が響いた。
「あのヘンテコな踊りねぇ、陸の舞のつもりだったのよぉ」
「え?」
「その反応からして、やっぱり違うのね。一応、海にあった書物で陸の文化を勉強したつもりだったんだけど……ちなみに、あの子の話し方はどう思った?」
「あの……少々煽られているような気はしましたが……」
さすがに「気持ち悪かったですっ!」と正直に言うわけにはいかない。
だけど、私のわずかな言い淀みで伝わったようだ。
「やっぱりねぇ。アタシも『拙者』とか『ござる』とか気持ち悪いと思っていてさぁ……でもひとまず、言葉自体は伝わるようで良かったわ。陸の言葉覚えるの大変だったのよぉ。二本足で歩くのもね」
私が付き人の言葉を理解するよりも前に、彼はズカズカと私の前に歩いてくる。そして腕を掴まれた。
「悪いけどぉ、ちょっとこの子借りていい?」
言われたお父様の顔は難色をしめるものの、「少しならば」と許可を出す。
言うなれば、ここは敵陣。相手は二人。私たちも二人。友好的に婚約を結ぼうというのに、物騒な兵士は連れてこれなかった。そのような場で、計り知れない相手に対して機嫌を損ねる選択肢を取るか否か――これはもう賭けでしかない。
表情が固い私たちを見て、その付き人は笑った。
「大丈夫よぉ。獲って食ったりしないってばぁ。アンタたちなんて、食べごたえなさそうだし」
真っ赤な唇の間から、ギザギザとした白い歯が見える。