君の音に近づきたい


「……分かっていたことのはずなのに、やっぱり苦しいよね。自分の実力をまざまざと突きつけられるのは」

私も、林君の腰掛ける机の隣の机に身体を預け、口を開いた。

あの舞台の上で、聴衆の面前で、自分の演奏を評価される。
それも、救いようのない評価をはっきりと告げられる。この先も、こういうことは何度もあるんだろう。そんな世界に私は足を踏み入れたのだ。

「私は自分がここに来たくて来た。林君は、そうじゃないのかもしれない。でも、こうしてここに入学したのは同じだよね。私は林君の演奏を聴いたわけじゃないから何も言えないけど、私の実力は林君が聴いた通り」

そこで、あの恥ずかしい舞台を思い出しながら苦笑する。

「あんな実力しかなくても、ここにいるなら、私はピアノを弾き続けるしかないと思う。この先のこと考えると苦しいし、恥ずかしいけどね」

やっぱり私は、また笑うしかなかった。

「だから、一緒に頑張ろうよ」

何故か私が励ましている。
どう考えても私の方が下手だろうに。そう言わないではいられなかった。

「桐谷さん……」

「ピアノって基本、他の楽器と違って一人で練習するしかなくて、孤独なものだけど。でも、同じように苦しんでいるクラスメイトがいると思えば、頑張れたりするかもよ?」

林君に顔を向けると、その目が私をじっと見つめた。

「せっかくこうして同じクラスになったんだし、この先苦しくなったら励ましあってさ。弱音とか愚痴とか、そういうのいくらでも聞くし。そんな風にしながら頑張ってみようよ」

「……うん。そうだね」

林君は、今度は目を細めて笑った。その笑みは無理したものではなさそうだ。

「結局、僕が励ましてもらったね。ありがと」

「ううん。私も、林君と話して励まされたよ」

入学して間もないけれど、あっという間に厳しい現実を目の当たりにした。

練習したから。精一杯努力したから――。
その分だけ報われるなんて、そんな甘い世界じゃないってことを改めて実感して。

でも、私はここにいるのだ。
私は、ピアノを弾くためにここにいる。

"何も感じないってことはなかった"

二宮さんの言葉が、不意に胸に浮かぶ。

私はまだ、何も始まっていない。
その先にあるものを、まだ何も見ていない。
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