君の音に近づきたい


その日の帰り道、CDショップに立ち寄った。

『そんなもの買わなくていい』と、二宮さんは言ったけれど。

クラシックコーナーに進む。すると、すぐに目に入った。

”二宮奏 待望のオールショパンプログラムアルバム”

最近リリースされた二宮さんのCDのポスターだった。
非の打ちどころのない綺麗な顔が、アップになったそのポスター。
ついさっきまで一緒にいた人だとは思えない。

そう思うのは、そこにいる二宮さんが、別人のような微笑みを浮かべているからだろうか。

ポスターのすぐ近くに何枚も平置きされたCDから、一枚手に取る。
やはりそのジャケットも、二宮さんの顔が全面に写し出されていた。

それにしても、凄いアップ――。

なんとも複雑な気持ちになる。
どこに向けられた微笑みなのか。その視線が何を見ているのか分からない。
ピアニストの顔がジャケットになっているCDが珍しいわけじゃない。
でも、素の二宮さんを知ってしまったからか、どうしてもこういう風に撮影されるのが好きなような人には思えない。

まあ、それも私の勝手な想像でしかないけど――。

手にしたジャケットを裏返す。
そこには演奏曲目が並んでいた。

ショパンはショパンでも、比較的ゆったりとしたテンポの曲が多く並んでいた。
ノクターンにプレリュード。どれもロマンチックな曲で、女性ファンが喜びそうだ。

笑顔の貴公子、だもんね――。

”どヘタ”

そんな言葉を吐くとは夢にも思えない、優しげで儚げで、綺麗な微笑みがそこにはある。

『今の俺は、あんたが思っているような音は出せない』

本当にそうだろうか。

『聴くだけ無駄』なんだろうか。

本心でそんなことを思っているのだろうか。そんな人が、真剣にピアノに向かうだろうか。

――自分で『弾けた』と思ったその先に、実は、本当に納得できる演奏までにはまだまだ長い道が続いていて。そこに到達するために、ピアニストは自分の演奏をひたすらに突き詰めて向き合う。

少なくとも、今日、私にしてくれたレッスンは、私のピアノに真剣に向き合ってくれているものだった。

遠い世界の人だから、私の頭で考えたところで答えなんて出なくて。
結局私は、自分が見て聴いて知っている二宮さんから想像することしかできない。

でも、私にとっての二宮さんはやっぱり変わらない。

二宮さんは、絶対に特別な人だ。
もう前のような音が出せないなんて、そんなことあるはずない。

あの人は、絶対に凄い人だ――。

私に意地悪く笑う顔と、私にピアノを教えてくれた時の真剣な表情、それらが交互に浮かんだ。
< 50 / 148 >

この作品をシェア

pagetop