愛がなくても、生きていける
涙を止められずにいる私に、隣の中村さんはそっとハンカチを差し出してくれる。
受け取り涙を拭うと、以前と同じ花の香りがふわりと漂い、ブーケを見て喜ぶ母の笑顔を思い出させた。
「日本での桜の花言葉は『純潔』なんだけど、フランス語ではすぐ散る様から『私を忘れないで』って意味が込められるんだって」
「私を、忘れないで……」
すぐ散ってしまうから、だから忘れないでと願うように。
「もしもその胸に『お母さんになにもできなかった』って気持ちがあるなら、それは違うよ。親は、子供が笑ってくれてるだけで幸せなんだ」
「笑う、だけで……」
「うん。沙智ちゃんがこの先、恋をして結婚をしたり、大切な人を見つけたり、仕事に熱意を注いだり……そんな人生の中で、時折思い出して笑ってくれたらそれだけでいい。
お母さんは、きっとその願いを込めて手紙を残したんじゃないかな」
今はまだこの心は絶望の奥底。
これからきっと、果てしない孤独と喪失感、不安や悲しみが襲うだろう。
だけどそれを乗り越えた先の日々で、いつか今日の日を思い出にできたら。
その時の自分が、ひとり穏やかな気持ちでいるのか、大切な人と過ごしているのか、どうなっているかなんてわからない。
だけど希望の中で『あんなことがあったんだよ』『お母さんとこういうことがあって』、そう笑えたら。
そんな日を迎えられたら、いいな。
「ありがとう、ございます……」
涙はまたあふれて、借りたハンカチを濡らしてしまう。
だけどそのあいだも中村さんは優しく頭を撫でてくれた。
子供をあやすような、優しい指先から温もりを感じる。
お母さんは、もう戻らない。
自分にできたことがなんだったかなんてわからない。
わかったところで今更叶えるなんてできない。
人生なんて、うまくいかないことばかりだ。
だけどそれでも、私はこの日々を忘れない。
なくそうとなんてしない。
全部自分の一部にして、ともに生きていく。
命、続く限り。