君に伝えたかったこと
ほとんど口にしなかったブラックのコーヒーを飲み始めたのも、美貴恵の影響だった。

「飲み物買って来るけどなにがいい?」

「じゃあ、コーヒーで」

「ブラック・・だよね」

「うん、ありがと」

こんな話もたくさんあった。

美貴恵との時間を思い出すきっかけはどこにでも転がっている。

使っている手帳も、仕事机の上に置いてあるペン立ても、プレゼントしてくれた青いシャツも、すべてがあのとき過ごした幸せな時間を今もなお語りかけてくれていた。

ただ、美貴恵のことを思い出すたびに、考えることを無理矢理途中でやめてしまうのだった。

大切な人がいない日常が当たり前になってしまった今、いくら考えても二人でいる未来を想像することが出来なかったからだ。

毎日の生活の中で、ふと頭をよぎる一緒にいた時間の記憶。

仕事で使うカメラの中に一枚だけ残してある美貴恵の写真。

まだ桜も咲かない春先に何気なくシャッターを押したときの一枚。

美貴恵はレンズの向こうで笑っている。

「やだぁ、可愛くないから消して」

そう言っていた美貴恵のことを思い出す。

(美貴恵 元気かな・・・)

消せない連絡先、消えない記憶。

そして何も伝えることができない静寂の時間。
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